自閉症療育のキーワード集
あかりの家は、“自閉症者施設”として1986年に開設した。その間、強度行動障害を伴う人たちの短期入所(われわれはそれを「リハビリ的短期入所」と呼んでいる)を積極的に受け入れてきた。また、高砂と姫路における親子体操教室の積み重ね、障害児(者)地域療育等支援事業(現行、障害児(者)療育支援事業)から本格的に始まった自閉症者の療育・相談支援、ひょうご発達障害者支援センタークローバーの活動など、開設当初に比べて自閉症の人たちとの関わりは広く深く展開してきた。そして、2000年から横浜からスーパーバイザーを迎えて「療育研修」(事例検討と実地研修)が始まった。
そういった中で、積み上げてきた財産を、つなぎ、育てていく必要性を感じ始め、《実践の中から得たエッセンスを言葉にする》ことを始めた。
これらのエッセンスを「あかりの家自閉症療育のキーワード集」とし、 “自閉症”と“自前”と“療育的なことば”にこだわって編集し、『第9回あかりの家事例研究会』研究誌 (‘03年2月)に初めて発表した。それ以降、年1度の事例研究会の研究誌に毎年キーワードを加えて、版を重ねている。
以下、「あかりの家 事例研究会」研究誌から、「あかりだより」(施設だより)用に抜粋したものを転載した。
「Aさん」「B君」等の名前が繰り返されるが、別人である。 <S.V>とあるのは、スーパーバイザーからいただいた、直接・間接の助言である。
引き続いて、加除と修正を加えながら、このキーワード集を積み上げていこうと思う。
原稿:あかりの家 関係者
編集:前施設長 三原 憲二
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(1)
- #1 わかりやすさ
- 「わかりやすさ」は自閉症療育の基本である。
空間や手順や視覚化やスケジュール等の構造化 された「わかりやすさ」は良く知られている。
しかし、一貫性、振舞い方を教えてくれる人、状 況を整理してくれる人、ズレを見抜いて修復してくれる人等の「わかりやすい」人や「わかりや すくしてくれる」人も重要な「わかりやす」である。
(1)スピードメーター
自転車で職場まで通勤していた A さんだが、いつもスピードを出しすぎて危険であった(推測 30km/h)。
一緒に付き添ったりしたが、その時は良くてもいざ 1 人になると結局は元のままの ことが続いた。
「1人でも自律的にスピードを守って走行できる方法はないか?」と悩んでいた時、 スピードメーターの存在を知り、早速取り付けてみた。
「スピードは19km/hまでは○。20k m/h 以上は×」とルールを決め、実際の走行データを後でチェックした。
それからは、実に見事 にスピードを守って通勤した。 - #10 成功させる -登園拒否は自信がつけば無くなった-
- A君の通所拒否は長年続いていた。
たまに通所しても、玄関をスムーズにくぐれない。
そういった相談に訪問支援をした。
作業中の頻回なトイレ通いとお茶のみによる悪循環、途切れがちな作業がトイレ通いを誘発する。
そういった、これまでの状況を整理して、ある日、次のことを集中的に取り組むことにした。
(1)うまく援助してあげられなかったことを本人に謝り、「これからA君がうまくいけるよう、 きちんと応援するからね」と、これから援助する職員の姿勢を伝える
(2)大集団の中で宙ぶらりんの状態ではなく小集団(3名)の作業室に場所変更
(3)指示待ちではなく自立的に動けるための作業手順の構造化。(手がかりづくり)
(4)「お茶は休憩の時飲みます」等、約束事を文字に書いて掲示。それを場面毎に確認する。 そういった取り組みの結果、うまくいける場面が増えてくると通所拒否はなくなる。玄関もス
ムーズにくぐれるようになった。 - #13 環境を変えて取り組む
- (2)場所を変更して、そこでは失敗させない
A さんは眠前薬を服用していたが、ある時から毎日その薬を噛んで吐き出し、手になすりつける行為が続くようになった。
そこで服用する場所を、吐き出し続けているリビングではなく、全く違った環境の医務室に変え、同時に初回はうまく飲めるよう(絶対に失敗しないよう)対応した。
場所を変えた初回の対応がうまくいき、以降もそこでは噛んで吐き出すことはなくなった。 - #15家族への応援
- (3)家庭との連携、信頼関係
Eさんのこだわりは相当に激しく苦しい。集中的な取り組みで、あかりの家での状態やこだわりが改善し、表情も和らぎ始めた頃、帰省時の家庭では、全く別の大きな問題が出始めた。
そして、今までに増して家族を困らせ不安が募った。
しかし、職員が家に応援に行き特に問題とされた状態が改善するにつれ、家族の不安は消え、前向きの気持ちに変化していった。
<S.V> どんな方法をとる場合でも、我々プロは、親と意見が同じところから利用者との付き合いを始めなければならない。
いくらいい方法だと思っても、親が反対だと絶対上手くいかない。
薬でも、親がダメだと思ったら、どんな薬を飲ませても悪いことしか起こらない。お母さんの状態が悪くなると、連動して彼らの状態も悪くなる訳だから。
避けなければならないことは、帰省後の状態の崩れを親のせいにしてしまうことです。
我々が崩れを親のせいにし、我々と親とがバラバラだと間に挟まった自閉症の人の状態は必ず悪くなり、その状態を三者が諦めて努力しなくなってしまうからです。
親は我々以上に苦労しています。
それを超える苦労をし、結果を出さない限り、親たちはプロを信用しません。
小さい時からプロは役に立たず、混乱させられるようなことばかり言われてきました。
親に信頼してもらえば、連携することが可能なはずです。
むろん「難しい」です。尋常な苦労では、今のままです。 - #19仮説をいくつ持てるか いつでも修正できるやわらかさを持つ
- ショート利用のAさん、食後の食器下洗いの際、一寸した興奮を2回連続して起こす。
「家で食器洗いをしてないからだろう」と考えた。
ところが、お家に聞くと「家でもしている。ただ、ゴム手袋で洗っている」とのことであった。納得・反省! ちなみに、しっかり説明した3回目から興奮することなく下洗いをするようになる。 - #23良いことか悪いことか聞く。そして、こちらのメッセージをしっかり伝える。
- Cくんは、芳香剤・文具・お菓子等の買い物のこだわりが強く、毎日5千円から多い時で3万円も買込む。要求が叶わないと大暴れし、家族だけでは対応できず警察の協力を得ることもあっ た。そういった経過の後、あかりの家の短期入所利用に至る。
利用初日、持ち上がっている問題に対してどう思っているのか、尋ねてみた。
「お母さんを叩くのは?」→「ペケ」、
「暴れてお巡りさんが家に来るのは?」→「ペケ」
「毎日、芳香剤を5千円も買うのは?」→「(飛びつくようにニヤッとして)マル!」
「ダメだよ。芳香剤5千円はペケ。そんなこと言ってると本当にお家にいれなくなっちゃうよ。職員も頑張るから、Cくんも頑張ろう」という会話であった。
どちらかというと安定的な1ヶ月の短期入所を終えて、両親が迎えに来られた。その場に職員が立会い、母親とCくんが約束した。
(母親)「芳香剤は?」→(Cくん)「買いません」、②(母親)「叩くのは?」→(Cくん)「ペケ」。そういった約束や帰宅後の日課表等を紙に書き、家に掲示してもらった。
帰宅後6ヶ月間、買わない日々が続いている。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(2)
- #9「わかりやすさ」や「手順化」の工夫
- 少しでも自立的な生活を応援しようと、Bさんの全自動での洗濯に取り組んだ。
最初の困難さはスイッチ類の多さであった。そこで不必要なスイッチはテープを貼って隠した。
また、洗濯終了合図のために、首にタイマーをぶら下げた。
1年程の取り組みで
①夕食後
②所定の場所から
③洗剤カップ1杯を取り出し
④2つのスイッチを順に押し
⑤リビング壁にある50分にセット済みのタイマーをONにし
⑥そのタイマー音で洗濯物を取りに行き
⑦ベランダに干すことができるようになった。
テープ貼りは不要になり、声がけもしていない。 - #10 禁止だけではなく具体的に教える
- 「ダメ」の禁止だけでは何をしていいか分からない。
<具体的な方法>や<ふるまい方>を提示して、次の行動の<手がかり>を教えてあげる必要がある。
(2)「リビングで座って待ってください」
職員にあれこれ質問を繰り返し、対応次第ではイライラを誘発させガラスを割ることもあったAさん。
特定支援員との二者関係が強く、事務所までも捜しに来る。
当初「今はダメ」と答えていたが、強い二者関係を利用して「すぐ行くから、リビングで待っていて下さい」と伝え方を変えると、リビングに行って待つことができるようになる。
最近は「わかりましたか?」と聞き直し、「わかりました」を引き出し、行動の前に言葉のやりとりをはさんでいる。
聞き分けが随分良くなった。 - #15 「生理が始まってねー」
- 「生理が始まってねー」とお母さんが話された瞬間、とても聞いていた感じはないし、そんなことで怒りだす印象もないGさんが、突然自傷を始めた。
4年生で始まった生理にお母さんは戸惑い、ついつい否定的な話し掛けを私にしてきた時のことである。
10年程前のことだが、「エッ、しっかり聞いているんだ!」という、恥じながらの意外性が強烈な印象として忘れられない。
やや自分勝手な聞き方があるにしても、そ知らぬ顔でも結構伝わっている。
似たような経験は少なくない。 - #19 落ち着く型、しなくてすむ型を作る・教える
- (2)手を後ろに組んで移動する
Bさんはこだわりが強く、時には危険を伴うこともあった。
職員より先に走ってしまうと、真っ先にこだわりが出てしまうため、日常的に行動のスピードを落としていく必要があった。
また、強いこだわりを先行させると、関係が成り立たなくなった。
こだわりが高じた時の表情は苦渋に満ちている。
あれこれ工夫の結果、移動の際、手を後ろに組んで、職員の後ろから歩くといった型を考えついた。
当初、職員を追い越さないというルールは全く伝わらなかった。組んでいる手もすぐに離した。
しかし、走り出すこともなくなり、次第に<一緒に歩いている>実感が出始めた。
Bさんも、こだわりから開放されて、リラックスできている様子が表情からはっきり伺える。
多動もかなり影を潜め、行動もまとまってきつつある。
今では、手を後ろに組むこともない。
<S・V>
当初いいアイデアでうまくいったとしも、関係がとれるようになると、普通の歩き方に切り替えていかないと、元に戻ることを恐れてパターン化してしまう。
怖いのは、若い職員が後ろ手に組むことが、「プロの意味ある仕事」という風に、形式的に入ること。
手を後ろに組むことはいいことだって入ってしまうと、気がつけば、あかりの人は皆手を後ろに組んで歩いているということになる。 - #21 暴れなくてすむように、職員に応援を求める
- 定期的に短期入所を利用するDさん。
食事中、食べ物を投げたり食器をひっくり返すため、嫌がられながらも職員が手を添えてゆっくり食べる応援をする。
そのうち手を添えなくても横に居るだけで何とか食べれるようになった頃、苦手な野菜を目の前にして「手を持っといて、手を持っといて」と突然要求してきて驚くやら嬉しいやら。
自分の動きや感情を上手くコントロールできない場面で、「人」を頼りにしてきたのだ。 - #44 思いを支持する・応援する
- 作業中、Fさんがスーと自分の持ち場を離れ、こだわっているカレンダーを書こうとした。
そこで、「Fさん、作業の場所に戻って、作業を続けて下さいね」と声を掛けた。
Fさんはすぐ持ち場に戻った。
そして作業終了後、Fさんが爽快な表情で「我慢できた~。良かった~。えらかった」と嬉しそうに伝えてきてくれた。
私の声掛けで持ち場に戻って作業を再開したFさんは、その後40分、私の存在を意識しつつ、カレンダーを書かない努力を続けていたのだった。
「Fさん、ずっと頑張っていたのね。我慢していたのね。えらかったね。我慢できて良かったね。嬉しかったね。」と、私の喜びも伝えた。 - #55 怠けるな!?
- ケーブル解体作業班のKさん。
中央に山積みした「みんな用」のケーブルを前に、突っ立ったままの状態が目立った。
職員の声がけも、つい「頑張れよ!」といった“怠け者”への声がけとなる。 色々考えていく過程で、山積みの中から10本程度を選んでKさんの作業台に置いてみた。
するとKさんは“怠け者”どころか誰よりも能率良く、一気に仕上げてみせた。作業班のエ-スになった。
実は、“怠け者”ではなく「分かりにくさ」であった。
そのポイントは、①「山積み」ではなく「小分け」であり、②中央に山積みした「みんな用」ではなく、自分の作業台に置かれた「自分用」であった。
「分かりにくさ」や「見通しづらさ」のところを応援してあげると、“怠け者”から「エース」に生まれ変わったのである。
となると、“怠け者”は、見抜けなかった支援員側となる。
ゴメン。
<S・V>
混乱しているのは本人なんだけど、職員が混乱させていると考えて付き合った方が、先が見えてくることが多いように思う。 - #66 新任職員によって調子を崩す
- Aさんは、職員の異動時に調子を崩す傾向が強い。
新任職員が勤務で重なると、泣く、向かっていく、尿失禁が出る。
彼女の日中の動きをきっちり支えられない時、そのまま夜、寝られないということにつながっていく。
結局は、避けられないその“被害”を最小限にとどめながら、先輩職員が“黒子”として新任職員をどう支え、どう成長を応援できるかにかかってくる。
<S・V>
ぼくが一番気になっていることの一つが、担任や担当の変更、部屋や作業班の移動等に関し、彼ら一人ひとりに(ちょうど、目が悪い人に眼鏡が必要なように、自閉症の人には眼鏡に代わる)眼鏡人間が確かに保障されているか否か、そういう観点を持っているか、強く意識して付き合っているか、ということである。
彼らにとって、外や内からの刺激をミニマムにし、普通に動ける応援をキチンとできる、「存在感」ある人が必要である。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(3)
- #16 要求カード
- Wさんは、簡単な漢字の読み書きは出来るが、発語できず自ら職員に関ることが苦手である。
例えば自分専用のシャンプーが無くなっても、それを支援員に知らせることをしない。
そこで生活に必要な最低限の物を色つきの画用紙に文字を書いた「要求カード」を作ってみた。
それを支援員に提示するコミュニケーションである。
カード作成直後から確実に意思表示でき、今ではカードを作成していない要求内容でも支援員に近寄って来て、身振りを交えながら自分の意思を訴えようとするようになった。 - #20 「天井は触りません」 ― 状況にあった言葉を育てる ・ 引き出す -
- Dさんは、家庭での粗暴行為がエスカレートして短期入所となった。受入れに際し、いくつかの「約束事項」を作った。
問題の一つに、車中で天井をたたいて大暴れをすることがあった。
そこで、車の中では手を膝に置き、顎をひいて座る等、車内で “大暴れしなくてすむ型”を徹底的に教えた。
その結果、叩く行為はなくなった。ところが代わりに天井を撫でることが始まった。
エスカレートしそうなため「天井は触りません」という約束事項を加えた。そんなある日、母親が車で迎えに来た時の事、送り出しの支援員が「天井を触って帰っておいでね」と声掛けした。
すると「ハイ」と返事があり、即座に「ヘッ?触るの?」と返した。
そうして「触りません」の言葉を引き出した。
それ以降、同様の声掛けにも意識して応えられるようになった。
母親との関係作りも応援した。送ってきた母親と、「夜7時に迎えに来てください」「分かりました」、「お願いします」「はい」、「さようなら」「さようなら」、とやりとりして別れる。
事務所に入る際も「失礼します」出る際「失礼しました」とする。
そういった状況にあった言葉を発して、トーンを落とし、語尾を伸ばさず一言ひとことを正確に発声する練習もした。
ちなみに、Dさんにそこまでのやりとりができる印象は無かった。
自閉症ということで“踏み込んだ言葉でのやりとりは混乱させるだけ”という考えは、ケースによっては、あるいは応援の仕方によっては、「それは違う」ということである。
(反射的やオウム返し的な言動ではなく)「言葉をはさんで行動を起こす」、「行動の前に状況にあった言葉を発する」「ことばのやり取りをはさんで関係を作る」「脳みそ経由で行動を起こす」などとも言っている。
マナーの、勝手な押し付けでは決してない。 - #64 関係の中で我慢する
- A君は職場実習に通っている。
居室は個室であったが、暖房を30度という勝手な型を作ってしまい、結果風邪をひいてしまった。
そこで、意図的に介入を始めた。
彼はその介入を嫌がり、イライラッと迫ってきて首肩付近に掴みかかってきた。
しかし頑として構え「給料もらっている人間がそんな馬鹿なことしてどうするんだ」と対応した。
そのうち少しずつ力をゆるめ始め、別の日に同様の注意をした時は、手を伸ばすまいと、みるからに必死で我慢した。
そうしているうち、我慢の程度も軽くなって、「さあイライラして!」とのからかいの“指示”も受け止めるようになってきた。 - #72 力抜き - 作業の微妙な動きに修正を加える -
- Yさんはこだわりが強い。
今年度より外勤のケーブル作業になり、当初は新しい作業の緊張感が良いものに見えた。
しかし慣れてくると、同じ動きを繰り返し、力んだ状態を持続させている作業が、状態の崩れに繋がっているように感じられた。
また、どんどん動きが早くなって、感覚で作業しているなどが観察された。
そういった流れを変えないと駄目だと感じ、休憩を挟み、違う内容の作業を入れて、時々動きを修正するようにした。一定の成果があった。
単一的な動きが多い作業の場合、休憩のとり方や、単調さを崩す動きの作り方など、常に意識が必要であると感じた。 - #78 療育の成果を生活に返していく
- 行動障害の激しい人の部屋は、例えば、カーテンが無かったりタンスが壊れたままであったりする。
自閉症者施設の職員はそのような光景を見慣れてきた。
だから、行動障害の改善を生活環境や生活水準を上げることに結び付けていく、療育の成果を生活に返していく視点は非常に大切となる。
数年前、小グループ旅行(レインボーデー)は車であったが、それを公共交通機関利用に切り替えていった。
今年度は、問題行動で外作業が困難であった人を含め、半数近くの17名が外勤作業に参加した。
また、玄関の日中の施錠開放も実現できた。今では、施錠してあると心に引っかかる。 - #80 父親を軸にする
- 外来療育のW君は、母親を見た瞬間に髪の毛を掴みに行く。
父親に対する攻撃もあるが、ある程度抑制が効く。
そこで父親を軸にして、母親との関係改善を図ることを考えた。
まず、あかりの家で作業課題を利用して、父親との関係を強化していった。
次に、母親を見ても掴みかからないために、父親と私が付き添う形で、母親とW君を近づける段階に進んだ。
母親が声かけなどして関係や空間的な距離を少しずつ縮めていった。
最初は距離が縮まると髪の毛に手が伸びていたが、手を添えてW君の手が伸びないような応援をしていった。
そのようにして、段々手が伸びることが減少していき、母親も不安を抱えながらも少しずつ自信がついていった。
次は、家庭(私不在)における関係作りであるが、これまでの取り組みによって父親の存在で母親を見ても掴みかかることが次第に減っていた。
そして仕上げは、W君と母親の二人だけの場面になる。
失敗をしないように、W君の状態が良い時を選び“掴まなくて済んだ”という経験を積み重ねていくことの大切さを話した。
そういった経験を積み重ねていくことで、母親も自信がつき、またW君も安心できることで、今は何とか一緒に過ごせるようになった。 - #35 鎮守様
- 歩いて外勤するCさん。
こだわりが強く、マンホールや白線など色んなものに囚われ足も進みづらい。
そんな或る日、いつもと違う動きを感じた。
鎮守様の祠前で首を微かに傾け口をパクパクさせたのである。
新しいこだわりと思い、「村の鎮守様よ。気にしなくていいのよ」と話した。
以後、鎮守様を通過する手前で「真っ直ぐ歩くのよ」と伝えた。
Cさんは少し困った顔で、私を見ながら首をすくめて動きを止めて歩いた。
ある日、声を掛けずに様子を見ることにした。
Cさんは困った顔で私を見て、鎮守様の祠に首を向けて薄く目を閉じ、頬を膨らませて口をモゴモゴさせた。
その姿を見て「あっ!Cさんは鎮守様にお祈りをしてるんだ。お祈りの姿だったんだ!」と咄嗟に感じた。
「気にしなくていい」と、鎮守様イコール道中を邪魔するものという考えに囚われていた自分が恥ずかしかった。
いつか、どこかにお参りに行こうか。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(4)
- #23 モノを挟む
- 頭を下げて固まり、顔が上がっても目はギュッと閉じ、体に力を入れた状態が続くAさん。
ツバ吐きや大声出しにもなる。そこからの脱出に「頭上げて」「目を開けて」と声をかけ続ける。
しかし、私の声かけでは伝わらない。
応援の力がない声かけになって、余計にAさんの状態を固着させてしまう。
ふと、Aさんには役割がないことに気付き、歯磨きコップを乾燥機に入れる役割を考えた。
すると、私の声かけにも、目をしっかり開けてスッと動くことが増え、変に固まった状態でコップを移すことが減った。
直接人とのやり取りではなく、物を関わりの媒介にしていくことの意味を再確認した。
直接関わるのは物であって、それを自分で見て、判断して、動くので、下手な声かけよりは、不自然な力を入れなくてすむのだろうか。 - #69 彼女の意見を聞いたの?個室に“なった”の?
- 家庭では一人で寝ることがなかったSさん、個室化推進に伴い一人部屋になる。
個室化工事中にも部屋移動が2度あったこともあり、「お部屋交換」「お布団持っておいで」という言葉が頻繁に出るようになる。
支援員と同じ空間で寝ていた頃にはほとんどなかったツバ飛ばしの跡が、居室の壁一面につくようになった。
SVに相談すると、「彼女の意見を聞いたのか否か。彼女の考えをアレコレ想像してみたか否か。“個室となり”という表現は自然現象のようだ。
そうではない、“個室にした”のだ。」と返ってきた。
そうだった。
支援員は「大人なんだから一人で寝なさい」と一方的に押し付けていた。
夜間目覚めて支援員室に来ても、「寝なさい」と追い返したりもした。今から考えると、Sさんの気持ちに全く寄り添っていなかった。
今は、就寝時に足などをマッサージする。
しかしまだ、布団に入ると指や口の多動の誘惑に負けて、入眠までは、直接・間接、Sさんの中に支援員の存在が必要とされる。
状態によっては支援員と同じ部屋で寝るなどの応援も必要となる。 - #70 勝手にパニック、付き合ってパニック、うーんと付き合ってパニックが減った
- V君にはフラッシュバックのような“勝手な”パニックがある。突然夜「お母さん、○○行かへん」と大声で叫び始める。
ただ、何かのきっかけで起こるのだからと、あきらめていた。
そのV君の担当になって色々取り組み出すとパニックが増え始めた。
ゆっくりペースのV君を追い立て過ぎたのかと反省した。
しかしその内、昔のことを言っているけど、パニックの原因は今にあるのではないかと感じ始めた。
今までパニックの時には、「そんなん叫んでも伝わらんで。パニック終わり!」と、制止していた。
それが、今に原因があるような気がしてから「V君、しゃべれるんやから、何があったんか、ゆっくり話してみ。」と、堅く握った指を開くように握ってあげて、時間をかけてパニックに付き合った。
そしてだんだん分かってきた。
洗濯した靴下が片方なくなったとか、寒いから下着を長袖にするように職員に言われたとか、そんなことに引っかかっているらしい。
当たっているかどうか密かにつけたパニック記録で見極めた。
「あぁ、あのやりとりで解決したのか、じゃぁ原因はシャツだったのか」と。
そして、ある時何か腑に落ちないことがあったのか、パニック寸前の表情でウロウロしていた。
その時たった一回、それも聞き逃してしまいそうな独り言で「シャツ破った」とつぶやいた。
そのようなことを経て、だんだんパニックは減り、あってもすぐに解決できるようになった。 - #103 お母さんは悪くない
- 行動障害の息子にアザを作られ続けながら、それでも母親は頑張っていた。
それをお母さんの友達が見るに見かねて、コーディネーターに連絡を入れてきた。
そのようなお母さんは、決まってこう語り出す。
「こうなったのは私のせいです・・・」と。
その言葉の一つひとつに、孤独な子育てと家族などからの批判に、次第に心を閉ざした母親の苦悩が見える。
相談支援で大切にしていることは、自信をなくしたお母さんの、今日からの再スタートの手がかりを探して、しばらく私と共に歩んで行くことである。
「お母さんは悪くない!」この言葉から、心の葛藤を解きほぐしたK君のお母さんは、今日までのつらさを涙で流して新たなスタートを踏み出された。
そしてK君を“気持ちと体を一歩前に出して”受け止めながら、今では他のお母さんの橋渡し役として活動されている。 - #111 状態を崩すと前例が通じない
- 定期的にショート利用して2年になるAさん。
ある時、家庭で状態が崩れ、緊急利用となった。
その初日の、朝のランニングでパニックを起こした。
原因が分からないまま、その場は収めて、作業棟に行った。
しかし表情が浮かない、作業に集中出来ない。
そのうち体を小刻みに震わせた。
ハッと感じて、トイレ誘導してみると大量の排尿があった。
その後はすっきりした表情で、作業も順調にこなせた。
2年の付き合いで、トイレの要求は身振りで示し、適度に行くことが頭にあった。
ところが、今回は調子を崩しての利用であった。
普段なら簡単に出来る意思表示も、何らかの引っかかりがあって上手く出来ずにいたのだ。
状態を崩して受け入れる場合には、十分過ぎる程の手助けが必要だと感じた。
そういった場合は、細かな変化をキャッチする感度とそれに沿った対応の出し入れが大切であることを学ばせてもらった。 - #128 うそだと分かった瞬間、信頼関係を失う
- うそをつかない。
このことは、私と息子との関わりの基本である。
「これから予防注射に行きます」と、はっきり伝える。
子どもだましもしない。
不愉快なことでも話した。
うそをつくと、それがうそだと分かった瞬間、信頼関係を失う。
それが一番こわい。
私にとっても言い訳しなくてもいいから楽だった。
強く促すこともあるが、彼のことについては勝手には決めない。
彼の言うこともしっかり聞く。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(5)
- #3 したくないのにしてしまう苦しさ
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(2)帰宅拒否
A君は高3。
母親に対して喉元をつかみにいく行為が続き、ショート利用に至る。
今日まで一番身近で支えてくれた母親を攻撃してしまうつらさである。
そこで家庭から一旦切り離さざるを得なかった訳だが、週末、母親が車で迎えに来ても帰ろうとしなかった。
お母さんは、寂しさとホッとした気持ちが入り混じる複雑な気持ちで帰られた。
母親を見た瞬間動けなかったのかもしれない、見捨てられ感が急膨張したのかもしれない。
しかし、われわれはそこに、“家に帰ればまた攻撃してしまう(あかりの家にいればしなくてすむ。)”といった思いを一番に想定した。 - #4 苦手な声や音
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(1)姫路親子体操教室でのアンケート
「嫌いな刺激やものや場所について」11人のお母さんに聞いた。
①「叱られる時の強い口調」(73%)
②「人が叱られる声」、「人の泣き声」(各55%)
④「騒々しい集団の声」(45%)
⑤「騒々しい音」(36%)と、声や音に関するものが上位を占め
⑥に「身体接触」(27%)
⑦「ピストルの音」「暗いところ」(各18%)
と続いた。
(4)叱られる声に反応して皿を割る
B君は状態が崩れてくると、衝動的に皿を床に叩きつけ、割ってしまうことがある。
中でもZ君のあげる大きな声・地団駄を踏む足音には過敏に反応して、瞬時にしてそういう行動が出てしまう。 - #65 自分の身体をコントロールする
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Aさんは、状態が悪いと多動になる。
すぐ手があがり、自分の身体をコントロールできなくなる。
そこで自分の身体を少しでも意識してもらうために、肘掛椅子の手を乗せる辺りに半分に切ったテニスボールをテープで留めた。
肘掛けに肘を置き、ボールを掴ませるようにしてみた。
椅子に深く座ることもした。
その工夫はある程度成功し、自分の手をコントロールしている様子がはっきり伺えた。
多動的な手の動きは減少した。
<S・V>
彼らの動きは2種類のモードで考えると解りやすい。
①自分の身体が自分の身体に所属している時
②自分の動きが自分の所有外になっている時
後者は、反射的で、「先行刺激に支配」されていると言える。
本人の人格とは無関係に動いてしまう脱コントロールモードの状態とも言える。
このモードの切り替えをうまくしてあげる必要がある。 - #71 力を抜いてゆっくり
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Aさんの食事はとにかく早い。
5分で終了してしまう。
観察すると、身体に力が入って、かなり前傾姿勢になっている。
そこで、背筋は軽く伸ばし、椅子をひくなどの姿勢を整えた。
そこから、職員主導で(最初は職員が食べさせる → ゆっくりした動き、ペースを意識してもらう)食事をしてもらうことで、以前のようなバタバタした食べ方から、大分まとまった形ができるようになった。
日常生活場面全体でも、「ゆっくり」を意識して行動してもらい、力みも減りつつある。
力み無く、落ち着いて過ごせるための応援である。 - #88 感度 -ああこれだ!怒っている理由は-
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ショート利用のBさんが食事中突然怒り出した。
原因をあれこれ思い巡らせるが、分からない。
ふと周りを見た時、斜め前の人の頬にご飯粒がついていた。
「ああこれだ」とわかり、ご飯粒を取り除きながら「Aさん、この人の頬にご飯粒が付いていることで怒ったのね」と話しかけると、スーと怒りが収まった。
<S・V> 上手くしゃべれない彼らが何かをした時、その意味は一体何なのか、それへの「感度」は重要。
「感度」はプロとしての力量の必要条件。
「何やってんだ、困るよ!」じゃあダメ。
その感度が低い職員は今から辞めて欲しい。
あるいは色んな仮説を持って、何日か経つうちに「あっ、あれは、そーだったんだ。きっと!」という風な考え方、感じ方ができる人ではないと出来ないんです、この仕事は。
常に、この感覚は磨いておいて欲しい。 - #107 「寝る」に導く2つの対応
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<ショートAさん>
家では一人部屋で深夜まで独語があり、家族が寝静まってから起き出して食べ物を食べる。
定期宿泊利用が始まった。
就寝時、独語が出るが声掛けで止まり、比較的短時間で寝付けた。
しかし、真夜中に目覚め独語が出始める。
そこで、本人の布団に入って横に寝ることにした。
独語を止めるより、布団に入って直接示してあげる方が分かりやすいと考えたからだ。
そのことを拒否しないことも分かっていた。
闇の中、黙って横になる私。
こちらの行動にびっくりした様子で黙って身体を硬くしているAさん。
30分程して、背を向けていたAさんが、そっと片手を動かして上向きで寝ている私に手を伸ばしてきた。
私の手を探している風だった。
そしてそっと支援員の手を繋ぐ。
繋いだ手の感触から身体の力は抜けていることが分かる。
闇の中、沈黙が続く。
そうしてAさんは寝息を立て始めた。
<ショートBさん>
家庭では独語しながら本を見て眠らない。
本を散乱させたまま午前3時頃浅く眠るとのこと。
初めての宿泊ショート。
消灯後側に付き添い「今から寝る時間よ。
寝る時間はお喋りしません」と伝えていく。
しばらくは黙っているが独語がすぐ出る。
再度「今は寝る時間よ。お喋りしません」と伝える。
独語が又出る。
間髪を入れず、「いつまで喋っているの!」と気迫で一喝した。
日中の付き合いから、次に独語が出た時は一喝する方が伝わりやすいと考えたからだ。
シンとなった次の瞬間、Bさんはやにわに起き上がり、支援員の方を向いてベッドに正座し「申し訳ございませんでした」と、両手をついて深々と頭を下げた。
内心笑いながら「分かったら宜しい。寝なさい」と真面目に答えた。
Bさんは「はい」と真面目に返事し、きちんと布団を掛け直し仰向けになった。
すぐに寝息をたて、起床まで熟睡する。 - #112 水だけで便秘が解消した喜び/これすらも出来ていなかった反省
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便秘傾向で排便時間も定まっていないNさん。
運動も考えたが、日課にすぐ組み込みやすい、起床後のコップ1杯の水と朝食後の定時排便から取り組みを始めた。
その結果、2~3日置きに硬便が出始めた。
次に、コップ2杯にしてみた。
すると固くて少量の便が、ほぼ毎日見られるようになった。
水と定時排便だけで便秘傾向が解消できたのである。
これだけで効果があった嬉しさがある。
反面、これだけのこともできていなかった反省も残った。 - #125 作業の自発性を育てる補助具
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新しく「さをり織り班」に加わったDさん。
徐々に作業が自発的に出来るようになるが、4つに仕切った箱に入れた4色の横糸を順番に取り出せない。
そこで、タオルストッカーのように上から4色分入れ、下の口から1つずつ取り出すという流れを作った。
並列に置いていた時はどこの糸を取るのか分からなかったが、上から入れて下から出すという補助具を工夫することで、一人で作業ができるようになった。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(6)
- #3 “ちょっとしたこと” と “ちょっとどころではないこと”
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Gさんは「入浴前にいつものタオルがない」とか「買い物に行ったらいつものカップラーメンがない」とか“ちょっとしたこと”でパニックを起こす。
本当に“ちょっとしたこと”だから「ごめん、無かったわ!」の後手対応となる。
“そんなことで怒るなよ”ともなる。
そういった場面に最近また出くわし、考えさせられた。
僕たちにとっては“ちょっとしたこと”だけど、彼にとっては“ちょっとどころではない”大変なことだという、自閉症理解の原点である、彼の困り具合に立つところから、彼の支援が始まる。 - #8 母心
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週末帰宅時に、母親に向かって、次の帰省確認が止まらなくなったDさん。
母親は、まだ家に居たいのだろうと帰園の日を1日延ばす。
それが増えていって、あかりの家でも、帰省にからんだい.ら立ち...が目立ち始めた。
もう1日家に居させてやろうとする優しさが、Dさんを混乱させたようだ。
そうして家での日数が更に延びて、自宅の過ごし方の問題が強まった。
そのことを母親とDさんに説明し、帰省は1泊2日で固定して、そのリズムは変えないよう頼んだ。
その固定が良かった。
自宅での生活リズムができて、確認を減少させ、あかりの家にいても、帰省の見通しが立ちやすくなった。
そして帰省に関するトラブルは激減した。 - #26 ありがとう - つきあいきる -
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外出すると食事がほとんどとれないTさん。
そのTさんと小グループ日帰り旅行で外食をすることになった。
外出でも父親とであれば食べられるという情報を得て、何としても成功させたいと考えた。
興味のある文字を利用した二人の関係作りから始めたが、初回は5分ももたなかった。
しかし、一月後には30分に延びた。
できた時は大げさに褒めて喜びを共有し二人で過ごす経験を重ねた。
また、新任としての4月には肩を触ると叩き落とされていたが、2か月程すると私の肩を叩いて意思表示ができる関係にまでなった。
関係作りの次は環境作りである。
Tさんと二人で外出し、あかりの家にはない苦手な刺激や得意なものの把握に努めた。
その結果、外食場所の条件として、他人がいない、バックミュージックのない静かな店内、暑さを避けるために室温調整ができる個室、好きな和食、油臭のない店などが浮かび上がってきた。
条件の揃った店を何件も探し、やっと見つけた。
そして下見をして目と耳と舌で確認した。
そして当日、Tさんの前に運ばれたのは多量の和食コース料理で、釜飯だけで茶碗3杯もあった。
しかし、Tさんは手を止めず全ての料理を食べた。
食後、共に喜んでいると、それまでジェスチャーで喜びを表現していたTさんが、突然曇りガラスに字を書いた。
よく見ると「ありがとう」と2回書いてある。
驚きと嬉しさから涙がこみ上げ、すぐにその字は見えなくなった。
こちらこそ「ありがとう」。 - #71 力を抜いてゆっくり
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Aさんの食事はとにかく早い。
5分で終了してしまう。
観察すると、身体に力が入って、かなり前傾姿勢になっている。
そこで、背筋は軽く伸ばし、椅子をひくなどの姿勢を整えた。
そこから、職員主導で(最初は職員が食べさせる → ゆっくりした動き、ペースを意識してもらう)食事をしてもらうことで、以前のようなバタバタした食べ方から、大分まとまった形ができるようになった。
日常生活場面全体でも、「ゆっくり」を意識して行動してもらい、力みも減りつつある。
力み無く、落ち着いて過ごせるための応援である。 - #41 感覚過敏にしたのだ
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こだわりが多くて強くて身動きがとれなくなったAさん。
必然的に家族を巻き込む。
暴れて挙句の果てに母親と妹を家から追い出して、父親との二人住まい。
通所施設は一人部屋を用意するが、段々通えなくなって布団にこもる。
熱い汁物は食べられない、湯船に入れない。
チクチクする散髪屋に行けない。
人のクシャミや咳に反応する。
周囲の会話から「ね」の入った言葉を聞くと「ねねねね・・・・」とわめきたて、トンネルの「ネ」の字を見てトンネル前でパニックを起こす。
周りの家に明かりがともり始めると布団を敷かなければならない。
便が出ないとパニックになるのでチョコボールを置いてパニックを回避する。
視・聴・触覚が過敏で、「食・眠・排泄/日中活動」のありとあらゆる場面で強いこだわりやパニックが出る。
あかりの初日に入浴はクリアするが、しばらく食事で自分や周囲の利用者のお茶や汁物をひっくり返し、ご飯などを吐き出した。
非常ベルにも反応し何度か押した。
ストレスからか両腕も上がらなくなった。
それも、「しなくてもすむ」関係と環境を丁寧に積み上げていって、1ヶ月ほどで熱目の汁物も食べられるようになる。
「ね」にも反応しなくなる。
念のため預かっていた射撃用のヘッドホーンも、預かっていたことすら忘れていた。
上がらなくなっていた両腕も上がり始めて、家にも帰れるようになる。
強く拒否していた母親と一緒に居られるようにもなって、暗く険しい表情に笑顔が見られ始めた。
追い詰められる度にどんどん膨らんで、生活をガンジガラメにさせた彼の「感覚過敏」とは何か?「感覚過敏」を気遣って「感覚過敏」を強化し、「感覚過敏」に配慮して孤独に追いやる、そんな姿を思った。
何らかのベースは想定する必要はあるとしても、この事例は「感覚過敏」なのではなく、「感覚過敏にした」のである。
そのような療育的な言葉に置き換えて教訓とした。 - #73 小便小僧 ― 力抜き ―
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Yさんは頭を下げ腹部を引いて極端に縮みこまった体勢で排尿している。
腹部を緊張させて搾り出している。
状態が悪ければ排尿自体が困難になる。
そこで、下がった頭を上に向け、腹部を押して腹部の力みを抜くようにした。
しかし、腹部を押されることでさらに腹部に緊張を生み、腰が引けて体勢は更に丸まった。
ある日フット、小便小僧に目がいった。
Yさんとは逆の体勢で腹部を前に突き出している。
物は試しと、顔を上げ後ろから腰を押し出すことで腹部を伸ばしてみた。
すると、以前より力みがない滑らかな排尿ができた。 - #86 受け止める
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しっかり「受け止める」という言葉に、長くこだわっている。
安心感、安定感、信頼感ともつながる。
叱るにしても、褒めるにしても、守るにしても、「大丈夫!ヨッシまかしとけ!」といった“どっしり感”は、非常に重要である。
「怒らなくて大丈夫。しっかり手を持っていてあげるから」と応援の声がかけられるかどうか、ということにもなる。
受け止めるとは、「体重と気持ちを一歩前に出す」こと、とも話す。
逃げない、避けない、愚痴らない、暗くならない、応援をけちらないとも広がっていく。 - #163 プロになるための修行
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新任職員が、D君の食事場面で何年か振りのパニックを起こさせた。
その職員は、自分の言葉がけから引き起こされたパニックに落ち込んだ。
そういった時、パニックや関係を定着させない方法として、しばらく働きかけを避ける方法がある。
しかし現実には、同じ職員が関わらざるを得ない。
そこで、場所や場面を変えてみる。
言葉かけでつまづいたのなら、次は、「一寸聞いて」と間を置いて話に入るとか、低い声で、ゆっくり、伝えやすい言葉で話すなどの工夫をする。
工夫なく失敗の繰り返しはダメ。 そういう話をした。
修行である。
<S・V>
本を読んで勉強しても付き合い方の力量はあがらない。
結局は、失敗しながら痛い思いをしながら、彼らと付き合いながら、いろいろなことを気付かされながら、自分の力量を上げていくしかない。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(7)
- #11 自己流を変えてもらうための仕切り直し
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Uさんは就寝時パジャマを着ないことが続いていた。
ある日「パジャマを着て寝てよ」とパジャマを渡すと突っかかってきた。
何とか着用して布団に入るが、後で見に行くとまた服に着替えて布団に入っていた。
そして今年度、外勤班に変わって作業着を着ることになった。
ところが今度は作業着で寝始めた。
ここでやっと分かった。
パジャマが嫌なのではなく、次の日の服で寝ることに決めていたのだ。
パジャマ着用のための仕切り直しが必要となった。
先ず、パジャマと、日中服と、作業着を入れるカゴ3つを準備して、就寝時、朝の着替え時、作業に行く前に、着る服、脱ぐ服を分かりやすく整理した。
その流れを作って以降、パジャマ、日中服、作業着の着替えに混乱がなくなり、定着した。 - #12 マグネットを増やしていくか減らしていくか
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Gさんは耳掃除が好きだ。
しかしやりすぎは傷ができて困る。
「また今度」だけでは拒否だけが伝わってイライラ手を噛むことがある。
マグネットを使ってみた。最初、食堂掃除をする度にマグネットを貼り、3個溜まれば綿棒を渡すことにした。
しかし上手く理解してもらえない。
次に最初からマグネット3個貼っておいて、掃除の度に1個ずつ別の容器に移してゼロになったら綿棒を渡すようにした。
そのやり方の方は理解できて、今では綿棒でイライラすることはない。 - #48 反応しやすいものを視界から遠ざける
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毎年の親子一泊旅行の宴会で、執拗で強引なトイレ要求やお茶要求が激しく、最後まで食事場面に居ることが難しいAさん。
視界に入るものに反応しやすいようで、この旅行では、テーブルの中央の水を、Aさんが手を伸ばしても届かない距離や見えにくい場所に置くことで、執拗さが激減した。
目に入るか入らないかというだけで、行動が大きく変わる様子を直に感じ取れた。 - #63 グシャグシャを整理してあげる
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週末帰宅からの帰園時、B君は毎回、帰宅中の昼夜逆転(特定のこだわりを解消するために一晩起きている)などで乱れた生活リズムや状態を家庭から引きずって帰ってくる。
そういった状態を「グシャグシャ」と表現しているが、それを「整理」して立て直さなければならない。
・止めてあげる(グランドへの飛び出しや室内での徘徊を止め、椅子に座って過ごす。奇声や無意味な声を止めてあげる)
・伝わりやすい言葉かけを心掛ける。しっかり向き合って、丁寧に説明する。
・生活リズムを早く取り戻す
・パニックを起こさせない(職員が、失敗させない。未然に回避するための敏感さを持つ)等により、落ち着きを取り戻す。
施設の生活は、日課や空間が構造化されて感情を整理しやすいこともあるが、ポイントは、「止めてあげることができる関係」である。
新人ではできない。 - #95 おじいちゃんの死 - 内面を引き出す、受け止める ―
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8月末の帰省後から、苦しそうに顔を歪めながら奇声をあげ、手を叩き部屋から走り出すこと事が続いたGさん。
言葉は無いが、思いをカードで選び出すことができる。
そして「お爺さん」に絞り込めた。
お母さんに聞くと、8月にGさんを可愛がってくれていたお爺さんが亡くなり、それを帰省時に知らされたらしい。
どうもそのことらしい。
ある程度は時間が解決してくれると思ったが、1か月経っても抜け出せない。
ここに至って、Gさんの辛い思いを徹底的に吐き出してもらう覚悟を決めた。
30種類ほどのカードを作って聞いてみると、「お母さん」「お父さん」「お爺さん」のカードを何度も手渡してくる。
お爺さんの思い出も聞くと、「おじいさん」「お風呂」「テレビ」「寝る」のカードを渡してくる。
それぞれについて、「おじいさんとお風呂入ったの」「テレビ見たの」と聞くと、その度にガッツポーズで返してくれた。
「楽しかったんだね。いい思い出を残してもらえたね。」
と、Gさんの思いを汲み取った言葉を返していく。
そんなカードを使った会話を、30分ほど繰り返した。
その後で、心を込めて、ゆっくり、お爺さんはもう亡くなって、家に帰ってもいないことを伝えた。
何度も繰り返し、伝えた。
そして、最後に一緒に目を瞑って手を合わせて静かにお祈りをした。
翌日からイライラした様子はなくなった。 - #96 キライでは見えなかった
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4年目にして眼鏡を取られた。
夜間に失禁され、トイレ誘導すると再入眠しない。
一年目の関係の方が良かった。
ある日の夜勤も中々寝ない。
「なんでネーヘンのヨ!」と感情だけで怒った。
その時だ、いつもは怒られるとのけ反ったりするNさんが、すり寄ってきて静かに泣いたのである。
ハッとして、“でも寝れないのよ!どうにかしてよ!”というNさんのどうしようもできない苦しみを実感したのである。
それをきっかけにNさんとの関係を見直し始めた。Nさんといるだけで、指が動くだけでイライラしている自分に気づいた。
キライだと先に進めない。
好きになろう、そう決めた。
私はNさんと担当のHさんとの間に流れる空気が好きだった。
そこで、担当の真似をして抱きついてみた。
肌から伝わる温もりで、スーと落ち着いて、素直になっていく自分を感じた。
次からイライラしそうになると、私がイライラしないために抱きついた。
私の気持ちの変化だけで、夜間眠れる時間が増えてきた。
今までは目を閉じるかどうかばかり見ていたマッサージも、どこをマッサージすれば気持ち良さそうにするか、目がトローンとなるか見られるようになった。
振り返ると私のイライラが彼女の多動を助長していた。
怒っている人が横にいたら寝られないのは当たり前だ。
今では、どれだけ早く寝かせてあげられるかという思いに変わった。
マッサージで眠そうになっていく彼女の姿が嬉しい。 - #171 希望から始まった
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こだわりやパニックでがんじがらめになって、本人も家族も通所施設も、みんな身動きできなくなって、まずは家族から離れようと、短期入所となったZさん。
来所初日、職員3人に囲まれて、父親と母親それぞれから「とても一緒に生活できない。
あかりの家で頑張って欲しい。
元気になったら迎えに来る」と言ってもらう。
初日から問題行動はかなり改善されるが、ストレスからか両腕が上がらなくなる。
1ヶ月を過ぎると、問題行動は改善され、その分だけ幾分表情は緩んだが、腕はまだ上がらない。
しかし、転機が来た。
帰宅への希望である。2カ月たって、状態も落ち着いてきたため両親との面会を予定した。
この面会は絶対に成功させなければならないと、慎重に丁寧に準備した。
家族との思い出写真を送ってもらった。 両親から「元気でがんばって嬉しいよ。会いに行くよ」との電話をもらった。
初面会の日、本人からも両親からも緊張がビュンビュン伝わってくる。
それを何とか乗り越えて、「また会いに来るよ」と言われ「がんばる」と応えた。
表情が緩み笑顔になった。
それから、腕もウソのように上がるようになった。
そして2泊3日の最初の一時帰宅を迎えるが、何とか大きな問題を起こさず、満面の笑顔であかりに帰ってきた。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(8)
- #39 明快・先取り・方向の示唆
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Hさんにとっての食堂は、Aさんの声とかBさんの視線など苦手な刺激が多い。
Hさんはその食事場面で、声掛けに動けなかったり、時にはコップや靴を投げたりする。
そこで、「賢い人は○(マル)、賢くない人は×(バツ)です。
×の人に対してはUさん(支援員の私)は怒ります。」という明快な約束を考えた。
同時に、他の場面でも、良い事は「○だね。お姉さんだね。」と褒め、悪いことに対しては、「それは×だね。それは許しません。」と強く注意した。
そして、何かをする前に「○でやってね。」と事前の声かけも始めた。
そのうち、「○できる!」という返答や、「○できた!」と報告が返ってくるようになった。
今では「○で終わってね。」と言っておくことで、食堂でのトラブルは激減した。 - #145 メガネがこわい! ―ゆっくり、ゆったり、受け止めて―
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「メガネを壊されないように!」4月当初、先輩職員からFさんについてそんな忠告を受けた。
聞けば、毎年、新任職員の何人かはメガネを壊されていた。
ある時、それを忘れてFさんの側に近寄った。
すると、忠告どおりFさんの手が僕のメガネをめがけて飛んできた。
間一髪であった。
次の機会、Fさんの隣に座る前に、「Fさん、メガネをとらないでね。このメガネはとても高いのだから。とるときには、『とります、壊します』って教えてよね」と。
そして、時々「メガネとらないでね」と言いながら、30分近くを過ごした。
数日後、またFさんと一緒になった。
僕は、前回と同様に、「メガネとらないでね」と言おうとした。
そのとき、Fさんが突然「メガネこわいです!」と言い、上目遣いで僕を見ていた。
「そうか、メガネが怖かったんだね、だから、メガネをねらってたんだね。ごめん、ごめん、メガネを外すからね」僕は、直ぐにメガネをポケットに片付けてFさんの側に座った。
「これで、いいかな?」、メガネを外して僕はFさんにそう聞いてみた。
彼女は、静かに頷いた。
それから僕はこう言うことにしていた。
「Fさん、メガネをしているけれどいいですか。メガネを外すとFさんのきれいな顔が見えないからね」と。あれから一年近く何事もなく過ごし、メガネを意識することも少なくなっている。
こうして、Fさんとの距離が、「メガネ」の話題をとおして近くなったように思う。
※「メガネがこわい」ということについても、少し考察を加えて、別でキーワード化した。 - #188 新人の、私の緊張から・・・
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Jさんがやたらと私の事を気にし出したのは8月。
9月と11月にメガネを2回壊させてしまった。
11月には風呂場でお湯をかけられた。
私が対応すると「ヒー」という声を出し始めた。
私が悪い影響を及ぼしている事に、情けなく悔しかった。
見るに見かねたH主任が、12月に応援してくれた。
Jさんは主任を前にすると、私とは全く違って、視線を合わせて神妙な面もちで話を聞いていた。
主任が「Yさん(私)の話を聞くように」といって、Jさんを私に向けてくれた。
そうすると、不思議なくらい視線が合い、「話を聞いて欲しいこと」「メガネを壊したり水をかけたりしない、まともなおつき合いがしたいこと」「失敗させないように応援していること」を話し、Jさんは聞いてくれた。
これを機会に目線が合うようになった。
いくらかでも話を聞いてもらえるようになった。
驚くほどのいきなりの変化であった。今も続いている。
振り返れば、失敗を繰り返す中で私はかなりの緊張状態であった。
私の顔を見ただけで手が上がってきたり、ニヤけたり、ヒ―という声が出てしまう。
それを何とかしなければと焦っていた。
肩に力が入り、表情も近寄りがたいものがあったに違いない。
Jさんにしてみれば、必死で鉄砲を撃ってくる私は、何をしてくるかわからない脅威であったのだろう。
メガネ壊しや水かけは、脅威に対する防衛か反発であったのかも知れない。
いずれにしても、私が関われば関わるほど、Jさんをどんどんおかしくさせていたのは間違いない。
それを、Jさんも私も、先輩が作ってくれた土俵に入って、お互いに力が抜けて向き合うことができたのだろう。
大きな一歩であった。
やっとであるが、スタートラインに立てた喜びがある。 - #191 つきあいのはじまり
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Lさんはよく奇声が出る。
嫌いな場面で特に出やすい。
奇声が出ると「大きい声出さないで!」と注意するが、更に大きな声を出させてしまう。
ある日、作業中に大きな声が出た。
その時、「この糸・・・」というのが聞き取れた。「この糸が何て?」と聞くと、「この糸スキ、この糸キライ」とのことだった。
大きな声は嫌になった時の叫びだと思っていたが、全てがそうではないらしい。
それを知ってから、大きな声が出ると「何て言ったん?」と聞くようにした。
最初は逃げられていた。
それでもくっついていき、3回、4回と聞くと、「○○って言うた」と答えてくれた。
それを毎回続け、一週間ほど経つと一回で答えてくれるようになった。
先日は、「キャキャキャって言った」と答えた。
「何で?」と聞くと「作業イヤ」と答える。
嫌になって意味のない言葉を叫ぶことも分かった。
答えてくれると、「ゆっくり言って」など伝え方を教えることができる。
丁寧に説明すると、本人も「うん」と素直に聞いてくれることが多い。
奇声の後に会話ができるようになった。 - #212 前回大失敗、次は絶対失敗できない!
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Gさんの前回の入院は大変であった。
前々回の入院は大きな問題は無かったのだが。
しかし、前回は、緊急で突然に手術・入院となったことで、納得できなかったのか、手術室でも術後のベッドでも大暴れであった。
とは言え、退院時、半年後には再手術が決まっていた。
それをどう迎えるか。
いつ、誰が、どういった形で伝えるか、絶対に失敗は繰り返せないゾ!と、号令がかかった。
早く伝えると、施設から無断外出したり、通院途中に車から飛び出すかもしれない。
そういった心配が家族にあった。
だから、病院に行ってから伝えよう、という考え方になる。
しかし、我々には納得して病院に連れて行きたいという思いが強かった。
病院に向かう前にしっかり伝えようということである。
もしトラブルがあっても引き受ける覚悟でいた。
結果、<あかりの家>で、<手術当日>の、朝引継ぎ後の<トラブルがあっても対応できる時間帯>に、通院に付き添うことになっている<選ばれた職員>が、伝えることを選んだ。
そして手術当日、居室に呼んで、「今日、手術をしてもらうからね」「(Gさんにとって)大事なことだから、落ち着いて診てもらおうな」。
そして、入院に持参するパジャマ、ひげそり、スリッパを見せながら、「手術が終わったら、入院するからね。あかりには帰ってこないよ。」としっかり伝える。
取り乱した様子もなく「ハイ、ハイ」とうなずく。
その後、出発前にパジャマを支援員室から取り出すと、それを見てさっと立ち上がる。
そして、病院までの車での移動、診察、手術そして3週間余の入院も、大きなトラブルなく無事退院した。
表出言語はほとんど無いGさんであるが、基本的なことは十分伝わったと考えた。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(9)
- #130 整体先生大好き
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Tさんは、週一回来られる整体の先生が大好きだ。
そのTさん、初めて行く場所はオドオドして入りづらい。
あかりの家でも自分の部屋以外は入りづらい。
そこで大好きな整体先生に協力を願い、別の部屋で整体を受けた。
それをきっかけに、どの部屋でも入って行きやすくなった。
又、エコー検査が予定されていて、これも整体先生に乳液をつけてもらって予行演習した。
そして病院でも成功した。
そして最近、レインボーデイ(小グループ日帰り旅行)でイルカを触る体験を計画した。
初めての場所で、生き物に触るという一寸ハードルを上げた計画であったが、当日、イルカに楽しみながら触ることもできた。
出来ることが増えてくると、声かけも増えて、会話の機会も多くなった。
やりとりを楽しめるようになって、発音も良くなった。
整体先生ありがとうございました。 - #65 一つでも多くの準備
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ロングショートのSさん。
「あかりで健康的な生活を取り戻す」段階と「あかりから所属の通所施設に通う」段階を経て、「あかりから通所施設に通い、帰宅もする」段階に入った。
当初描いた方向通りに、順調に進んでいるようであった。
その日は、あかりから母親の迎えで通所施設に通い、終了後は(あかりに帰ってくるのではなく)、帰宅する日であった。
あかりの朝の引き継ぎでも、その辺りの説明がなされた。
しかし、通所終了時に、あかりか帰宅か、間違うこともあるし混乱もするはずだ。
都合の良い解釈をすることもある。
それをどう伝えるか。
このままでは、通所後あかりに帰ってくる日も、帰宅すると言い出すのではないか、そう解釈をしそうなSさんの印象があっただけに、フッと不安がよぎった。
中心的に担っているK支援員に「いつも通りに通所するんですか?」と聞いた。
そして、数時間後、「カバンを変えるようにするわ。」と話が返って来た。
僕の心配は消えた。
彼らの応援には様々なアイテムが手助けをしてくれる。
今回は、“帰省する場合”と“帰省しない場合”のカバンに違いを付けて、あかりか帰宅かの手掛かりとした。
今回の僕の一寸した不安とK支援員の対応に、自閉症者施設職員としての“アイデンティティ”のようなものを感じた。
常日頃、設定を成功させるためには、先手的な、数多くの小さな準備が必要であることを意識している僕にとって、今回のカバンに、その思いを改めて強くさせてもらった。 - #26 「ちゃんとご飯食べないと、病気になります!」
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分場でEさんが、昼食のメニューについて質問に来る。
それに答えている時、突然泣き顔になって地団駄を踏み始めた。
「どうしたの」と聞くと、泣き顔で「ちゃんとご飯食べないと、病気になります。」と答えてきた。
「うんそうだね。でも食べたくない時は、無理して食べなくてもいいんだよ。」と返してあげた。
しかしイライラは納まらない。
その時、思いと違うことを言っていることを直感して、両肩を抱きながら「イライラしている理由は、他にあるんでしょう。言ってごらん。」と聞いた。
沈黙の後「ゆで卵がいい」と静かに答えた。
メニューは半熟卵であった。
「すぐ作ってあげるからイライラしないで待ってて下さい。」と伝えて、ゆで卵を作る用意をし始めるとスーと落ち着いてきた。
お母さんに聞くと、家族が生卵を食べる時には、Eさんだけにゆで卵にしてあげているとの事であった。 - #38 終りをたくさん作る
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K君は、パチンコ台分解班でプラスチックの分別作業をしているが、持続性がない。
そこで5分タイマーを利用して、鳴れば始め、鳴れば休憩し、鳴れば始めることにしたところ、集中できるようになった。
「見通し」とか「分かりやすい」ことに関係するのであろう。
1時間1課題より30分2課題、更には、10分6課題の方が分かりやすい。
終わりが分かって見通しがつきやすい。
量についても同様である。
いつ終わるかもわからない量を山盛りで差し出されるより、それを30分で終われる量毎に小分けして出された方が、「終わりをたくさん作る」ことになる。 - #93 あかりの家でうまくやれると学校でもできた
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学校ではみんなが食べ終わらないと食べ始めないB君。
あかりのショートステイという別環境で、皆と一緒に食事をとった。
特に何も設定はしなかった。
すると学校で、今までのこだわりは何も無かったように、皆と一緒に食べるようになった。 - #155 100並べで色んな彼が見えてきた
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思い通りにならないと奇声を上げるSさん。
帰省や行事の確認が多く、発語は不明瞭で分かりづらい。
その確認行為にどう対応するか、日々の課題であったが、私にはもっと違った関係も築きたいという思いが強くなっていた。
そこで新たな関係づくりを目指して、「100並べ」の課題を始めた。
勤務を終えてから毎日 、1~100までのマグネットを、枠と数字が書かれた文字盤の上に並べることをした。
最初はマグネットを枠内に置くこともできなかった。
分からないと奇声を上げた。
しかし、続けた。
すると、2~3回で、枠内に並べるようになってきた。
2カ月ほど経つと、数字に気づき始めた。
マグネットをとる際に迷うことが出始めたのだ。
今は、30個程の数字は正しく選べる。まだまだ学ぶことが出来ることを知った。
これまで学べていなかったことも、身をもって知った。
Sさんのイメージが変わった。
真面目に一生懸命取り組める一面を知り、Sさんの言葉でわかる単語が増えた。
コミュニケーションが取りやすくなり、嬉しそうに笑う場面が増えた。
課題を通して作った関係や気付きは、日常生活にも繋がった。
確認行為にどう対応するかだけでなく、「新しいことを一緒にやりたい」と思うになった。
例えば、最初は雑巾の場所を全く知らなかったが、掃除時に毎回教えて、1ヵ月ほどで取れるようになった。 - #25 「食べない」ではなく「食べられない」
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養護学校の先生から紹介されて、短期入所にやってきたA君。
聞き取りでは、「パン、お菓子、麺類しか食べられない。他の食べ物を口に入れられない。」であった。
最初の食事で、「食事に行くよ」と伝えると、スムーズに移動できる。
着席もできる。
食べようという思いは、それまでの動きから想像できる。
ところが、スプーンが持てない。
こちらでスプーンを持って口に運ぶが、口を開けて食べ物を迎え入れることができない。
そこでスプーンに乗せる量を極少量にすると、口を開けられる。
しかし、転がすように舌で動かしているだけで、噛まずに飲み込めない。
そこで、口の動きと飲み込みのタイミングを「モグモグ」「ごっくん」と教えるようにする。
食事ができないのではない。
食物を食べる際、動作、タイミングが分からないのかもしれない。
口の中に入れる量が分からず、スプーンが持てない。
口の中に食物が入ると噛むことができず、咀嚼に繋がらない。
咀嚼が出来ないため、嚥下ができない。
食べるための道具の操作(量の捉え方を含め)、食べる行為(咀嚼、嚥下)を教えてあげることで、食べられる実感が生まれた。
そして、一人で食べられようになった。
家庭に帰っても、食べられるようになり、母親は大喜びで苦手なものでも練習しようと前向きに取り組んでいる。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(10)
- #136 そばにいてくれるだけでいい」~ある1日の決意から始まった変化~
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靴下を履かない、ベルトをしない、トイレ後の手洗いをしない、あちこちの場面で身だしなみが気になるBさん。
ついつい注意の声掛け が多くなる。
毎日続く。
これでよいのか迷い始めた。
10月のある日、「出来ていること」への声掛けだけで通すことにした。
「作業着、着れてるね」「手洗えたね」「それでいいよ」と、肯定的な言葉で徹底し、褒めた。
するとその日、リビングでゆっくり座って過ごしている。
入浴後の靴 下も履いているし、ベルトもきちんとしている。
考えても無かったこと が起きた。
それから1週間、目の前に来たBさんが「そばにいてくれるだけでいい」とポソッと肱いたのである。
突然の、どこかで聞いた台詞のような言葉に驚かされた。
彼の言葉をほとんど耳にした事がない園長からは “ホンマ力イナ” と笑われた。
しかし本当である。
実はBさん、 TVのクイズ番組をチラチラ見ていて突然正解を呟いたという伝説の持ち主であった。
そうして、言葉のやりとりも増えた。
靴下やベルトをしていることをアピールし始め、すぐに居室に入らず消灯時間ギリギリまでリビングで過ごすことも増えた。
ある1日の決意から始まった変化を、どう解釈するか。
情緒的な解釈しかできないが、あの徹底して肯定した一日の「点」が、「線」となって繋がり始めていることは確かである。 - #107 服破りの姿勢
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Jさんは、 服を破く、 水に浸ける、 渡す服も着ようとしない等が 続いて、 だんだん裸で過ごす時聞が増えだした。
そこで12年前に始まった療育研修で、いの一番に取り上げた。そうして、服を着て生活できるようになった。
そのことについて、当時から今に引き継がれている着眼点がある。
それは、 服破りにつながる「イスに座る姿勢」がある。
背中が曲がり、頭が下がり、両足を強く閉じて、太ももの下に両手を挟み、両足をイスの下まで曲げる、そういった姿勢が服破りにつながる。
それを放置しておくと、どんどんと前傾姿勢になり、腹に力が 入り、視線が下に行き、身体全体に力が入って表情も険しくなってくる。
そうすると、 靴下を強く上げ、 ズボンの裾を強く下げ、 服の袖を強く伸ばし、 襟を触る。
しまいに「ハ、ソ~!」と声が出て服を破る。
そういった一連の動きを絶つためのポイントが、背もたれに背中をつける、頭を上げる、両足を広げる、両手を太ももの上に乗せ る両足を前へ出す姿勢である。
言葉だけでも姿勢を修正できるが、できない時は、隣に座って「足を伸ばす」と言葉かけをし、こちらも足を伸ばして見せたりする。
あるいは、Jさんの両手を持ってパンザイのポーズで力抜きをした後、座り方の修正をする。
修正が成功すると、 靴下を強く上げるなどの動きはほとんど見られない。
身体の力が少しずつ抜けて、 表情も柔らかくなり、 ゆったりと座れる。
「エエ感じ」と声をかける。
Jさんもコクリと領く。 - #93 これまでの関係があれば成功できる!
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「死ぬかもしれない手術なんか、Hがいなかったら受けようと思わない。」と、手術の決意をされたHさんのお母さん。
しかし、そう言うお母さんも、入院前の面会には消極的であった。
これまでの経験から、面会後帰省できないことで、状態を崩すのではないか、そのような不安が先に立ったようである。
一方で、お母さんの体調からして、今後宿泊帰省は難しくなりそうだ。
だから、この面会を成功させて、お母さんが、帰省なしの面会にも、不安なく来られるようにしたいと考えた。
成功できると思った。
新任で担当した2年半前、イライラ動き回以甲高い声でしゃべりまくっていた。
食事では“盗食”が頻繁にあって、支援員は H さんの手を持ち、 体でガードして “盗食”を防いでいた。
それでも隙を狙われるような状態であった。
2人だけのゆっくりした時間を、外出を含め一生懸命作った。
そうして、今では落ち着いて話を聞いてもらい、 約束も守ってもらえるようになった。
だから、しっかり話し込めば、思いは伝わると考えた。
そうして、当日朝、静かな居室で、外食でのふるまい方や家に帰らないことなど、しっかりゆっくり話をした。
そして、1年ぷりにお母さんと妹さんを迎え、私を含め4人で外食に出かけた。
レストランではお母さんの横に座った。
そしてゆったりと自分で食べている。
コーヒーも一口飲んでは置いている。
「( 一気飲みでなく〉ゆっくり飲むのを初めて見た」と妹が驚いた。
「良かったね」と話しかけると、 二コっと満足の領きをする。
そうして、お母さんが、「おかあちゃん頑張って手術するからな」と話すと、「うんうん」と顔を見ながら真剣な顔で領いた。
その時、足の貧乏ゆすりは止まり、曲った姿勢も背中が伸びた。別れ際、どこで寝るのか聞くと、「あかりで寝ます」と落ち着いて答えた。
退院後、定期的な面会も始まった。
「帰省のない面会」の成功が、お母さんの気持ちを前向きにさせた。 - #64 見通しが覚悟を引き出した
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親知らず2本を抜くことになったSさん。
母親の話では、子どもの頃、耳鼻科で大きな抵抗があってから歯医者には行ってないという。
1本ずつ2固に分けて抜くと聞く。
となると、次に繋げるために、1 回目を成功させなければならない。
あかりの家では歯科検診が毎月あるが、歯医者に行くとなるとまた遣う。
苦手な注射もあるし、強い拒否が十分予想された。
通院の朝、“今日は歯医者に行く、歯に注射する、奥の歯を抜いてもらう” と言う事を、静かな居室で一つ一つ説明した。
はじめは、「くるま」と言ったり、作業棟を指さしたりして、外出するのか?作業するのか?と確認をしていた。
しかし、5分ほど一つずつ説明していくと、次第に真剣な顔つきになった。
最後に「どこいくの?」と聞くと歯を指差し「ハイシャ」と言い、「注射どこにするの?」と聞くと歯ぐきを指差して応えられるようになった。
往きの車中では外を見ながら時に笑顔が見られた。
ところが歯科に着くと覚悟を決めたような顔つきに変わった。
待ち時間も、聞こえてくる歯を削る音や痛みの声などに乱れることはなかった。
診察台に上がってからも、ロを大きく聞け、見慣れぬ器具にも注射にも恐れる事無く治療を終えた。
拍子抜けする程に抵抗なく終わった。
事前の説明で、見通しを持ち、心積もりできたことが、彼の努力や覚悟を引き出したと考えている。 - #55 関係づくりことば
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Zさんはお茶やお汁を飲む際、わざと服にお茶をこぼすことがある。
6年前担当になった時、「お茶をこぼしてはダメ!」と徹底して言い続けた。
しかし、上手く伝わっている感触はなかった。
そこで、「ダメ!」を、「お茶をこぼさないように気をつけてね。」と変えてみた。
そして、ちゃんと飲めた時には、二人で「セーフ!」とジェスチヤーをして、少し冗談も絡めた。
そのうち、「今日もセーフでね。」が、二人の共通言語になった。
ちゃんと飲めた時には、Zさん自らが、小さい声で「セーフ」と言ってくれるようになった。
お茶こぼしもかなり減った。
そして今年度に入って、幾分しゃれた感じの「マナー」という言葉に変えた。
最初に使った時、彼はニヤニヤっと笑った。今では、色んな場面で使える言葉になってきた。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(11)
- #32 分かりやすさ・伝えやすさ
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①日課で伝える
Lさんの帰省時間が10時から15時へと変更になった。「いつ帰るの?」「15時」。表情は分かっているようであったが、違うと感じた。「じゃあ、朝ご飯を食べたら、その後は?」と聞き直すと、「帰ります」。やっぱり伝わっていない。
そこで、日課で説明をし直す。「朝ご飯食べて、作業して、昼ご飯食べて、作業して、帰る」 復唱もできる。「じゃあ、朝ご飯食べたら?その後は?」「作業します」
②服装を変える
相談で関わっているS君。特別支援学校から作業所の実習の面接に制服で行く。学校へ行くと勘違いして作業所の玄関でパニック。実習当日も、学校の体操服で行ってパニック。
お母さんに、「可能であるなら、カバンも服も、全部違う物で実習に行ってください」とお願いする。その後はパニックなく実習を終えた。
「勘違いした」のではなくて、「勘違いさせた」と解釈する。
③「まだ分からない」は分からない!
Nさんに、カレンダーを使って予定を伝える。
「外出は、いつにしようかなぁ」「25日!」「いや、勤務表が出来ていないから、10日まで待って!」ずっと不機嫌。
そこで、「外出は、27日にします」「分かりました」。機嫌良。
本当は27日必ず実現できるかどうか分からない。しかし、未定のまま過ごすより、一旦決めておいて後で変更した方が、Nさんの場合うまくいくと判断した。
④終わりの時間を伝える
ショート利用のA君。母親に急用事が出来て、彼を置いて外出しなければならなくなった。
母親が懸命に、何度も説明した。本人も「ウン、ウン」うなずく。しかし、パニック。そこで、母親に、終りを伝えることをアドバイスした。
そこで、「外出するけど、19時に戻ってきます。」と、終わりの時間を伝えたら、全くパニックなし。キチンと留守番できた。
⑤具体的に、視覚的に
新人のFさん、ショートC君と何もない広間で運動を始めようとしている。「まず最初に座って挨拶をします。」「座ってね」「座って!」と促しても座らない。
そこに、先輩職員のHさんが登場。ポンと座布団を1枚置いて、「ここに、座ろう」。すぐに座る。
⑥「ちがうチガウ」「そうソウ」
Yさんは、途切れ途切れ、力を入れてオシッコを出す。「力を抜いて~」と伝えるが、伝わらない。お尻を手で触ると、途切れ途切れに、お尻がキュッと動く。
そこで、動いたら「ちがうチガウ」、止まったら「そうソウ」と教えた。そうして動かさないことに気付いてくれた。その後数回の練習で、身についた。
それからは、キレイな放物線でオシッコが出る。
⑦見通しを立てる
Wさんは、毎朝起きた時、夜勤明けの職員に「ヤー、ヤー」と作業着を着るのか、普段着を着るのか確認していた。これでは、見通しの無いままの生活を強いることになる。それは苦しい。無用の混乱を引き起こすし、自立も妨げられる。
そこで、次の日の見通しを立てるために、次の日が作業なら作業着を、帰省日には象徴的にカバンと普段着を、寝る前に用意することにした。
そうしてから、起床後、夜勤明けの職員に確認せずに自分で着替えられるようになり、勘違いの“無駄パニック”はなくなった。 - #123 どーんと構えて、微細な動きをしっかり感知して、主導権を握る
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Kさんのお母さんが亡くなった。
母親との別れをお願いし、園長を含め3人で家族葬に参列した。
長時間座り続ける中で、頻回なトイレ要求や失禁、ツバつけ、強い足の踏みならしも想定されたので、必要に応じて式場から離れる心積もりをして参列することにした。
2日前、服の購入時、“お母さんが死んだ”ことを伝えた。
当日着替えの時、「死んだ」・「バイバイ」・「居ない」など、本人が理解できそうな言葉を探し、伝えていった。
普段の外出であれば、うれしそうに着替えるが、しかし、当日は神妙な面持ちのまま、40分ほど車に乗り、告別式へ向かった。
何よりも、こちらペースを作ることに集中した。
会場到着してすぐ、本人のトイレ要求前に、トイレへ誘った。
刺激を最小限にするため、開始までの15分間、周りが空席の一番後方に着席して待った。
その間、目線、指先、足先に注目した。
耳元でささやくようにシンプルな声かけをして、余計な動きが出ないよう集中した。
非常に落ち着いていたため、開式直前、前方へ移動、園長と私の間に座る。
読経が始まり、高音の打楽器が鳴ると指先が動き始め、小さな声が漏れ出す。
うつ向き気味の姿勢を維持し、耳元で声をかけ、微妙な動きが分かるよう私の身体の一部を本人の身体に当てた。
30分ほどして突然オナラが出て落ち着きがなくなる。
すぐ私の身体を軽く寄せ、本人への意識を強めた。
読経が終わると同時に自ら立ち上がり、予想通りトイレを要求してきた。
トイレから会場に戻る際は一歩一歩ゆっくり歩いた。
一緒に手添えで焼香し、棺に花を一緒に入れ、最後に棺を一緒に持たせてもらった。
いつもと違う神妙な面持ちで、予想以上に落ち着いて振舞った1時間の参列であった。
彼の動きを予測し、多動的な動きをしなくて済む応援が成功した。
彼を知っている親族なら想像もできないくらい落ち着いた姿を親族へ見せることが出来た。
だから私自身気持ちよく葬儀場を後にした。 - #211 「またよくなってから会おうね」一地域から施設へ施設から地域ヘー
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相談を受けていたFさん。
パニックになると、物を投げたり、お母さんを叩く。
過食で体重は増加の一途。
閉じこもりで、部屋から8日間出ない事もあった。
一方、母親は、パニックになったらどうしよう、物音で目が覚めたらどうしようと眠れない日々が続き、体調を崩した。
そんな時、D施設に空がでた。藁をもつかむ思いで入所を決断。
「お互い、またよくなってから会おうね」と、母親は約束をし、3年の有期限で入所を開始。
3年間の “しなくてもすむ”施設生活は、まさにFさんがつけていた鎧を1枚ずつ外す作業になっていった。
その頃母親は、「あの子を見捨ててしまった」といった罪悪感から、手が痛み、食事がのどを通らなくなった。
それでも、母親は“あの言葉”を何度も自分に言い聞かせ、3年間を乗り超えようとした。
そして退所3か月前。母親は、「お互いよくなったからまた一緒に暮らそうね」と本人に伝えた。
約束を果たした母親もまた、不安という鎧を1枚とった。
退所から2年、今でもパニックはあるが、通所先を休むことはない。
時には鼻歌も出るらしい。
とは言え、在宅生活は決して平坦なものではない。
母親は「まだ不安はあります。でもみんなが支えてくれていますから負けません。」と笑顔で答えられるようになった。
今では、Fさんの通所の合間を縫って、パートの仕事に出かけている。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(12)
- 新3 一緒に料理をしてみたら ー偏食を巡って一
- 全国自閉症者施設協議会のスーパーバイザー養成研修で、全国から実地研修生を受け入れた。その時「UFO やきそばしか食べない利用者の方が居る」という話が出た。
この2 年程、トモニ活動で料理作りを重ねてきた。一緒に料理を作れば、その方と色々な話ができるし、意識せずに色々な食材にも触れられる。そして、自分で作った料理を、楽しく職貝と一緒に食るべことができる。だから自然に「一緒に料理をしてみれば!?」と言葉が出た。
すると、「 おぉ!ほんまや」と声が上がった。
そして直後「それーキワードに書け!」と園長から声がかかった。 - 新5 先輩が黒子になって支えていただいた
- Aさんについては、S先輩による感動的なキーワードがある。新人 1 年目、そうなりたいと一生懸命関わり始めた。
しかし、居室を訪ねる度に出て行かれた。”嫌われないように"をいつも意識しながら、声掛けを繰リ返した。
それでも部屋から出ていかれ、正直、部屋を訪ねるのがイヤになった。
2か月目の5月、 他施設のバザーで、さをり商品を販売することになった。当日は早く、おにぎリをコンビニで買い、Aさんは車中で 、お茶で流し込むようにして食べていた。
バザー会場では人ごみの中、太鼓の音が飛び込んでくる。その会場で商品を売った。Aさんは 、背中を向け、時計を何度も気にしていた。
帰園後の夕食は苦しい顔で、朝と同じく流し込よむうに食べていた。後で聞いた話であるが、”嘔吐しそうだ。させてはまずい。このままでは崩れてしまう”と 直感したS先輩が助けに入ってくれた。
Aさんにとっては、バザー会場は相当なストレスだったのだ。時計を気にしていたのは「いつ帰れるのか」のサインだったのだ。せめて「〇〇 時に帰るからねー」と声をかけてあげたらよかった。あらかじめ苦手なことを教えてもらっていたのに、悔しくて情けなかった。
他にも、S先輩には色々背後で支えていただいた。
部屋から出た時は「Gさんが遊びに来てくれたのに、また出て行ったやろ!」「困ったことがあったらGさんに言うんやで」と言っていただいていた。
そうして次第に、Aさんは 、私の目を見て話を聞いてくれるようになった。部屋に訪ねて行っても出られることは激減した。振り返ってみると、一方的で、 独リよがリでしかなかった。
しかし今「ハンドークムリ買ったけど、どうせ塗らんつもリでおるんやろー」とチョッカイ的に話しかけると、”見抜かれた”という感じでニャッと返してくれる。嬉しい。 - 新9 どうなったの!お母さんは?
- 帰省中の Jさん、毎日午前午後、脅迫的に散歩に出る。母親は痛めている膝をかばいながら、 必死で後を追いかける。
1 年半ほど前の夏季帰省中、炎天下の午後、散歩に出かけた。彼の後を追っかけていた母親は、ついに暑さと疲労で彼の少し後方で倒れた。彼は、母親が救急車で運ばれていった姿を見ながら自宅に帰った。そして、期末全体会の最中のあかリに連絡が入り職員の迎えでJさんは帰園した。
相談員としての私は、翌日、母親に会うために自宅を訪問した。回復した母親は、Jさんの事を心配し、忘れていたベルトを預かった。
救急車で運ばれて以降、お母さんに会っていないJ さん。あかリに帰った私はJさんの横に座り、丁寧に「J さん、さっきお母さんに会いに行 ってきましたよ。」と話を始めた。
実は、7 年前に支援員をしていた時、私はJさんにとって全く無視できる存在であった。そのJさんが、私が話を始めた瞬間、左右に振っていた首を私の方にきゅっと向け、呼吸を止め、目を見開いて私の目をじっと見た。そして「お母さんは元気になって家に戻られてましたよ。お母さんも、 Jさんが元気にしてるか心配してましたよ」と伝えると、 今度は
「スーッ」と息を吐く音が聞こえた。
預かったベルトを出し「お母さんから預かったので着けといて下さいね。」と渡すと、苦手としていたはずのベルトを素早くつけた。
あれから1 年半、 今では、私が挨拶をするとJさんは…以前とかわらず、こちらを見ることも目を合わせることもない。 - 新14 ”残念なことはあるけれどそれでも良かったね、に導いていく”
- Nさんとは、 食事場面で躓きやすい。その事で「大きな声を出さないで!」「(食器)投げるん?」といった否定的な声掛けが多くなる。彼女から出てくる言葉も「私、悪い」や「しない」等が目立った。
2年ほど前から安定剤を服用し始めた。薬だけに頼リたくないし、今のうちに前向きな関係を作りたいと思いで、頑張りシールをためて“ 大好きなコーンスープを食べよう!”ということにした。
そんな頃、河島先生から「色んな辛いことはあるけども、それでも良かったねという結論に導いていくことが出来るし、それが感謝。そういうものを導くような会話を出来るようになって欲しい。感謝の気持ちをもっている人は絶対不幸ではない。」といったアドバイスを頂いた。
プラス思考なら私にも自信がある。影響されやすい人だから、私のプラス思考も上手くいくはず。とにかく、 彼女のマイナス思考に引っ張られない!負けない!と、心に決めた。
その内、問題の出やすい食事場面で「コーンスープ、シール貼ろうな」と、前向きな言葉が出始めた。頑張って食べようとする姿も見られ始めた。
去年のこと、 誕生日に2人でインドカレー屋さんに行った。お皿を投げられないように、表情や手の動きを警戒しながら、何事もなく食事は進んだ。そして終り頃?「いらん」と言葉が出たが「せっかくだから食べて!」と勧めた。その時、お皿を投げかけた。帰りの車中「なんで投げたんせっかくお祝いに来たのに。もう知らん」!と言いかけた時、 河島先生の言葉が浮かんできた。一転「一緒に食事が出来て嬉しかったね。外食できるようになったんだもんね 。」と切リ替えた。
後日、Nさんから「インドカレー」と言ってきた。オウム返しが多い彼女からの言葉に驚いた。そして、”あの時、怒ったままだったら散々な誕生日にしていた”と、心底思った。
そして今年、リベンジも含め、女子職員を誘って同じ店に行った。そして「Nさんとピリピリせずに食事が出来るなんて」と話をしながら、誕生会を楽しんだ。 - 新30 ”カレー作りへの思い、に導いていく” 料理は、優れた療育内容の詰まった宝庫です。生きる力を育み、親子の関係を深め、自己肯定感を高め、責任感や感樹の心を育て、今を豊かな充実した生き方へと導きます。
- 4年前よリ、トモニ療育センターから河島先生と高橋先生にスーパーバイザーとして来ていただいています。
最初の「料理は、・・・」のメッセージは、 先生のお話です。そうして昨年 4 月よリ、 利用者の皆さんとの料理作リに取リ組み始めました。
それが、いつの日か、‘‘お父さんお母さんに食べていただこう”との思い につながって、 保護者参加の夏祭リのでメインテーマ「おもてなし」として実現することになリました。
ピーラーを持つ真剣な目、お肉を入れる時の嬉しそうな表情。分りやすく手順が書かれたレシピと写真を見ながら「お父さん・お母さんに喜んでいただければいいですね」と話しながら、100人分のカレーを作リました。
それにしても、今まで気づかなかった利用者の皆さんの一面を見せていただくことは、とても嬉しいことでした。
「もてなすことが出来、感謝される存在になり、人のために働く喜びを知ってほしい。」(河島先生)今回、そんな思いを込めて作リました。
「利用者の皆さんが、お家で料理をして振る舞い、ご家族の皆さんと一緒に料理を囲んで食事をとれる日が来ればいいなぁ」と考えています。ニコニコで、素敵な食事になリますように。次につながリますように。
夏祭り当日の、テーブルの上に添えたメッセージ(抄)よリ
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(14)
- 30周年記念講演会 第3部 鼎談
青山新吾先生と「あかりの家自閉症療育のキーワード」をとおして - あかりの家は1986年に誕生し、今年の4月で 満30歳となった。
この間長く、行動上の問題を次から次へと繰り出す彼らを前に、その懐に飛び込めないでいた。手を拱いていた訳ではないが、“毎日が毎日、みんながみんな大変だが、しかし何も変らない”状況であった。あまりにも“手ごわい”相手を前に、年月や経験という「量」が、支援の展開や職員の成長などの「質」へと転換できずにいた。経験の「点」が、「線」や「面」につながっていかないのである。言ってみれば、長く、真面目な“お世話係”に甘んじてきた。それを、“毎日が毎日、みんながみんな大変だが、少しずつ取っかかりができ始めた”ところにどう抜け出るか、当時の私の大きな問題意識であった。
育つ職員が出始めて、少しずつ自力助走を始めていた頃、今から考えるととてもタイミング良く、2000年にスーパーバイザーとして片倉信夫・厚子両先生を迎える幸運を得た。そうして、いきなりエンジンを全開して、「自閉症成人施設」として一気に“離陸”し始めた。
ところが、片倉先生の「かくたつ療育研修」においては、「高速の下りエスカレーターで必死に2階に上がっているようなもの」とか「伝えきる厳しい向き合いと痒いところに手が届く細かな支援」とか、「したくないのにしてしまう」とか「張り合いをもって生きる」、「精度を上げる」、「密着取材」、「第一段階の教育」、「修行」、「黒子」、「サリバン先生」、「主戦場」、「瞬間技」等、象徴的な言葉が研修毎に加わっていく。そういった、ヒダのいっぱいついた “療育的なことば”があちこちからどんどん投げつけられる。必死で書き留める。
しかし、これらの“療育的なことば”は、“自閉症事典”には無い。そこは「修行」側のトップ、私の役割と直感して《実践の中から得たエッセンスを言葉にする》ことを、2002年度から始めた。何よりも「言葉」という形にして残し、それを、つなぎ、育てていくためである。
自前の、<共通言語>、<実践言語>、<説明言語>を得るためでもある。それらは、あかりの家の実践を中心にして、片倉先生による療育研修で得たエッセンス等を加え、<自閉症>と<自前>と<療育的なことば>にこだわって編集している。’02年度から作り始めて、現在300を超えるキーワードが出来上がっている。
なお、このキーワードは、原稿記載者と編集者の私で、少し前まではフロッピーディスク、最近はサーバーを通して、時に直接やり取りしながら、少しずつキーワードの形にしていく。“先ずストーリーがしっかりしていることが重要。” “この表現でよいか?少しずれている感じがするが” “ここをもっと具体的に説明しないと説得性に欠ける。” “理屈が先行している。実践の切り口でガッテンを狙え” “これでは勝手な解釈や成功史観で終わる” “成功理由はその方法ではなく向き合いの一生懸命さの感じがする” “キーワードは鋭い切り口だ。あれやこれや欲張りすぎて論点がボヤケテいる” 等々、何度もやりとりしながら完成する。
あかりの家はことさら<職員チーム作り>を意識し、大切にしている。「職員がバラバラなら利用者のことを本気で考えることは難しい」からだ。
そして、「職員チームは専門性を高める過程で作っていく」と「あかりの家共通確認」に明文化しているが、
その一つが、キーワード作りである。このキーワード作りの過程が、投稿者と編集者の私の、双方の思いや見方や表現を巡って、共に育ち・育てられる、チーム作りの大切な場となる。
なお、2010年度から、トモニ療育センターの河島淳子先生と高橋惠子先生からもご指導いただいている。その取り組みに関したキーワードもこのキーワード集に増え始めた。
‘14年度から始まった、全日本自閉症支援者協会と日本自閉症協会主催の「発達障害支援スーパーバイザー養成研修」の実務研修施設に、あかりの家も手をあげて全国から研修生を迎えている。あかりの家を選んでいただいた何人もの方が、あかりの家H・Pのキーワードを見たことがきっかけだと話されている。
‘14年度から「お客さんキーワード」の項を新たに設けた。スーパーバイザー養成研修に来られた川崎市のSさんから、お礼の手紙にキーワード2題添えていただいたことが発端である。
ところで、キーワード作りを始めて3年ほど経った頃、このキーワード集に<考えなくさせる> マニュアルに似た副作用が出始めた。このあたりの問題意識については、このキーワード集最終ページの、<追記>「キーワード考」(略)で触れている。
「キーワードは鋭い『切り口』である。切り口であるから部分であって全体ではない。部分であるが故に鋭くえぐり出せるし、部分であるから限界がある。」と、その限界を明確にしながら、自分たちのキーワードがお飾りにならないよう、常に息を吹きかけていこうと確認し合っている。 (三原)
(「あかりの家自閉症療育のキーワード集Ver.14」 前文(抄)より) - #226「作業を嫌がる自閉症の人に作業をさせては人権侵害」
- 2004年、出張先で知人がこぼした。「東京では、作業を嫌がる自閉症の人に作業させようとすると人権問題になるんです」と。
自閉症の人の名誉にかけても、きっちり議論しておかなければならないと、新幹線での帰路つらつら考えた。以降人の前で下のような話をよくする。
まず、どのレベルでの人権論議か。日中ゴロゴロすることの怖さを知った上での発言なのかどうか。
自閉症の人にとっての作業の魅力・張り合いのある日中活動の大切さを知っているのかどうか。
行動上の問題を上手くコントロールしてあげると自閉症の人は表面に見える以上に「できる」ことを知っているのかどうか。
ゴロゴロは本当にしたくてしているのだろうか。つまり、入り口レベルで作業から疎外していては、人権を守るよりは非人権的なことになる。
守られるより孤立化を強いられる。
そしてもう一つは問題のすり替え。
授業中、小学生が「オレ面白くないから帰るワ」と言った時、先生は「そうだよね」とは決して言わない。
選択の自由や人権の問題としてではなく、授業の魅力や指導力・教育力の問題として、先生は考えるはずだ。
似たような話が、県社協の就職セミナーで、あかりの家の紹介コーナーを訪ねた学生の話がある。
あかりの家では重度の人たちも全員働いていると説明すると、「そうなんですか、あかりの家では。私が実習に行った施設では自閉症の人はゴロゴロしていました。」と。 - #163 これまでの関係があれば成功できる!
- 「死ぬかもしれない手術なんか、Hがいなかったら受けようと思わない」と手術の決意をされたHさんのお母さん。以前は、年に1~2回、1週間ほどの帰省をしていたが、お母さんの体調の関係で帰省が出来なくなっていた。そこに手術の話が持ち上がってきて、「死ぬかもしれない手術なんか・・・」の話になった。
そのお母さんに、入院前の面会を提案した。しかし、お母さんは入院前の面会には消極的であった。
これまで面会後は必ず帰省していた。しかし今回は入院前の面会だから帰省できない。そうなると状態を崩すのではないか、そうであるなら面会は避けよう、ということであった。
しかし、手術前に何とか面会を実現させてあげたかった。その面会を成功させると、手術以降の帰省なしの面会にも、お母さんは不安なく来られるようになると考えた。
成功できると思った。新任で担当した2年半前、イライラ動き回り、甲高い声でしゃべりまくっていた。食事では“盗食”が頻繁にあって、支援員はHさんの手を持ち、体でガードして“盗食”を防いでいた。それでも隙を狙われるような状態であった。
<一緒にいてゆったりと過ごせるような関係>づくりを、ただただ一生懸命した。大好きな?コーヒーへの取り組みもその一つである。Hさんは、コーヒーを飲むと興奮しやすく早口で多弁になる。睡眠にも影響する。その大好きな?コーヒーを何とか楽しむものにしたいと考えた。そして、公園でゆっくりと飲むところから喫茶店に行くところまで、一緒に練習した。そうして、今では落ち着いて話を聞いてもらい、約束も守ってもらえるようになった。だから、面会後の帰省がないということも、しっかり話し込めば、思いは伝わると考えた。
そうして、お母さんを迎える当日朝、静かな居室で、外食でのふるまい方や家に帰らないことなど、しっかりゆっくり話をした。そして、1年ぶりにお母さんと妹さんをあかりの家に迎え、私を含め4人で外食に出かけた。
レストランではお母さんの横に座った。そしてゆったりと自分で食べている。コーヒーも一口飲んでは置いている。「(一気飲みでなく)ゆっくり飲むのを初めて見た」と妹さんが驚いた。「良かったね」と話しかけると、ニコッと満足の頷きをする。
そうして、お母さんが、「おかぁちゃん頑張って手術するからな」と話すと、「うんうん」と顔を見ながら真剣な顔で頷いた。その時、足の貧乏ゆすりは止まり、曲った姿勢も伸びた。別れ際、どこで寝るのか聞くと、「あかりで寝ます」と落ち着いて答えた。
退院後、定期的な面会も始まった。「帰省のない面会」の成功が、お母さんの気持ちを前向きにさせた。 - 新3 それぞれの整体 ―個別性への気付き―
- あかりの家では、整体の先生に週1回来て頂いている。居室に診察ベッドを置いて、支援員付き添いの下、15分程度の施術だ。
当然、ベッドではじっとしていなくてはならない。体を先生に任せられるリラックス状態も求められる。
ただ、付き添う支援員により利用者の状態に違いが出るのは事実である。
その正体のベースの一つは、普段の付き合いの質で培われる「安心感」。もう一つは「個別性」への気付きである。
①Zさんは、窓から見える景色が刺激となり、起き上がろうとしてしまう。カーテンを閉めることでゆったりできる。
②Nさんは、前かがみの姿勢になっている為に、背中がアーチ状に湾曲して、うつ伏せが難しい。そこで、お腹にクッションを挟む。すると身体的な負担が軽減され、随分ゆったり寝転べて体を任せられる。
③Sさんは、足周りに触れてマッサージされることを苦手にしている。1回1回細かくカウントしながら、小刻みに部位を変えることでたくさんの終わりを作る。そうすることで、見通しが出来やすく、一定時間体を任せることができる。
④Bさんは、整体の後の予定を明確に伝えて、整体後の見通しがつくことで、不安や焦りからくるおしゃべりをせずに済み、ゆったり集中出来る。
⑤Cさんは、整体の先生と談笑するなどその場が明るい雰囲気になることで安心できる。
⑥Dさんは、雑音のないピリッとした静かな環境の方が集中できて安心出来る。
⑦Oさんは、整体の部屋までゆったり落ち着いて歩いて行くことで、そのまま「ゆったり」を維持したまま整体が出来る。
⑧Mさんは、先生と挨拶することで、「整体の時間」と行動の切り替えが付きやすくなる。 - #243 「手を持っといて、手を持っといて」―暴れなくてもいいように自分で応援を求めるー
- 作業所でうまくいかず、定期的な短期入所利用が始まったLさん。
食事場面で特に問題が出て、食べ物を投げ、食器をひっくり返す。最初は「Lさん、投げたりひっくり返したりしなくていいように、川﨑さんが食べさせてあげるね」と話し、手を膝に置いてもらって、直接食べさせてあげた。「Lさん。魚だよ」「次はご飯ね」と伝えながら口へと運ぶ。重ねるうちに、少しずつLさんの身体や表情から緊張が和らいでいった。
「美味しいね」「良かったね」、思わず、Lさんの表情からそんな言葉掛けができるようになった頃、食器をひっくり返さずに食べることができるよう、手を添えつつ、ゆっくり食べる応援をした。当初、手を添えられることを強く嫌がっていたが、Lさんの呼吸に合わせて添える手の力加減を判断しながらすすめていくなかで、それも出来るようになっていった。少しずつ手を添えなくてもよくなり、やがてわたしはLさんの隣りに座って見守るまでとなった。
そんなある日、苦手な野菜を目の前にした時のこと、「手を持っといて、手を持っといて」と突然要求してきた。自分だけではうまくコントロールできない動きや感情を、わたしに応援を求めてきたのだ。「はい。持っててあげるよ。Lさん、大丈夫だよ」と手を持った。Lさんの呼吸が静かになる。
わたしは、自分が必要とされたことが嬉しくてすぐ園長へ報告に行った。 - #243 関係づくりことば
- Bさんはお茶やお汁を飲む際、わざと服にお茶をこぼすことがある。
6年前担当になった時、「お茶をこぼしてはダメ!」と徹底して言い続けた。しかし、関係もできていない中での単純な禁止ことばは、拒否感を持たせるだけで、上手く伝わっている感触はなかった。
Bさんは色々な言葉を知っている。そこで、「ダメ!」を、「お茶をこぼさないように気をつけてね。」と変えてみた。そして、ちゃんと飲めた時には、ジェスチャーも加えながら二人で「セーフ!」と、Bさんが繰り返したくなるような関わりに変えた。「セーフ!」は、耳ざわりが良かったのかもしれない。
そのうち、「今日もセーフでね。」が、二人の共通言語になった。ちゃんと飲めた時には、自ら、小さい声で「セーフ」と言ってくれるようになった。お茶こぼしもかなり減った。
そして今年度に入って、幾分しゃれた感じの「マナー」という言葉に変えた。最初に使った時、彼はニヤニヤっと笑った。この言葉も耳ざわりの良い言葉だったのだろう。今では、色んな場面で使える言葉になってきた。 - #243 あかりでは服破りをしない -存在感・“しなくてもすむ”―
- A施設でのショート利用時には服破りが常態化しているB君、あかりの家のショート利用時には大きな問題がない。同じくショート利用のCさん、生活ホーム利用時は色々な問題行動が出るし、行くことを拒否する。しかし、あかりの家に来ることは嫌がらない。あかりの家では目立った問題もほとんど見せない。共に、療育的配慮は特にしていない。こういった事例話は少なくない。何故だろうか、あれこれ考えリーダーたちにも問題を投げかけた。
思い浮かぶのは、「さあ、ここがショートの人たちのお部屋ですよ」と優しく迎え入れられながらも、ある空間や関係にポツンと投げ込まれて、何をしてよいか分らない状況だ。
構造化されていない人や空間やスケジュールなどが想定される。目や耳に勝手に入ってくる周りからの刺激もあるだろう。仲間や職員からの無配慮で“親切” な対人的な混乱も考えられる。
そしてもう一つはSVの言う「存在感」。あかりの家では、「ポツンと投げ込まれて」ではなく、“しっかり受け取られて”ショート利用が始まる。受け取った人が別の人に変わっても、空間が変わっても、B君にもCさんにも、あかりの家の職員の「存在」が在り続けている。
これに、SVからの追加コメント。「言語コミュニケーションの発達しない人ほど、相手の意図を読み取る非言語コミュニケーションがシャープになる。」と。
あかりの家の職員が何も言わなくても、“ここでは、服は破らなくていいんだよ!”と、振舞い方が示される。だから、“服破りをしなくてすむ”“あかりの家の方が楽で、嫌ではない”という解釈につながる。 - 付録 「自閉症児を特別なものとして見ることを止めたとき、彼らがよく見えてくるということを最後に言っておく」
- これは、片倉先生が、「十亀先生の遺言だと考えている」としてよく引用紹介される言葉である。紹介される度に私は戸惑っていた。
確かに、一人の人間として見る時(見えた時)、見え方が変わってくる(いる)。片倉先生の、「一気飲みが自閉症の特性ではないだろう。単に支援をサボっているだけだろう。」との、“自閉症の特性”とかを一つ飛び越えたところでの見方で、十亀先生の言葉にいくらか接近できる。
しかし、大半は、 “一生懸命自閉症の人として見て、その困り具合に取り組むのが支援者の役割なんだろう!”と、戸惑っていた。 (中略)
ところが、「檜の里」(あさけ学園の法人機関紙 ’02.6.18)にある片倉先生の巻頭言、「彼らの魂と付き合うこと」を読ませてもらって、読みの大きさと深さに驚いた。とりわけ、「自閉症の人たちに関する限り・・・禁止している」に読み進んだ時、ゆっくり何度か頷いた。そして大発見したように嬉しがった。“そんな読み方もするんだ!”と。
勝手に引用して、あかりのキーワード集に取り込んでおく。(‘14) - 彼らの魂と付き合うこと(抄)
- マラソン大会の出場が決まっていた自閉症の人が、期日が近づくと「マラソンしない」をしつこく繰り返し始めた。・・・基本的に、マラソン大会に出たいからこそ本人の内面に起きてくる、一般的な重圧と解すべきであろう。・・・「毎日30分練習しておけば大丈夫」「初出場は誰だって緊張するものだ。それを『マラソンしない』と言うのは誤解される言い方だ」等と励まし続け、実際に練習に付き合い、・・・そして、予測範囲の良い結果が出て、彼が満足そうな素振りをした時、初めて彼が「マラソン大会に出たかった」のだということが理解され、実感されるわけである。
周囲の人たちが彼らの「見かけ」に対して、普通の気持ちで付き合うと、彼らが特別な人にしか見えてこない。・・・十亀先生の日本語の厳しさは、人というものが普通他人の見かけ、外から観察可能な言動に反応するものだと承知しながら、自閉症の人たちに関する限り、それを我々に禁止している点にあるのだろうと思う。・・・
(片倉信夫;「檜の里」’02.6巻頭言より)
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(15)
- 新1 「ムリ」じゃあない! ―お母さんとの “共闘” ―
- Mさんの髪はお母さんが切られていたが、あかりの家では、職員が美容院に連れて行っていた。何年か前、お母さんに、「美容院にも行けますよ」と勧めた。しかし、「ムリ」とのことであった。
そのお母さんに、ある時「付き添うから行きましょう。暑がりだし、髪の量が多いし。」と働きかけて美容院行きが実現した。そして当日、落ち着いてカットしてもらうMさんの姿を見たお母さんはとても喜ばれた。翌月からは、お母さんが美容院に連れて行かれるようになった。
引き続いて、あかりの家では目覚ましで起きる練習とクロスステッチに取り組んだ。帰宅時、布団に入っていることが多いと聞いていたからである。そして、帰省する時には目覚まし時計を持たせた。お母さんに「鳴ったら必ず起こして下さい。昼間はクロスステッチをしてみて下さい」とお願いした。
運よく、お母さんにはクロスステッチの経験があった。爪楊枝を糸と布の間に入れて引っ張りすぎないよう調整しながら、<二人の作品>を完成させた。実はこれも当初「ムリ」だと言われていたのだが、見事、Mさんの帰省時の習慣とされた。たくさんの作品が出来あがり、あかりで飾ったり、園長に褒めてもらったり、「あかりだより」にカラー写真で紹介したりした。
そしてもう、「ムリです」と言うお母さんではなくなった。むしろ、色々な取り組みを楽しまれるようになった。
そのお母さんが病気になられた。帰省毎に、職員と一緒に作った帽子やマフラーや千羽鶴をプレゼントした。その甲斐あって!? お母さんは今お元気だ。
- 新4 「あかりの家そつぎょう!」 してGH「友愛の家」への出発
- 自閉症の人たちのグループホーム「友愛の家」の新築完成を前にして、Zさんを含めた5人の保護者の皆さんに説明会をもった。
Zさんのお母さんは悩まれた。30年あかりの家で過ごし、「あかりの家が好き」と言うZさんを前にして、敢えて今更グループホームに移る気には中々なれなかったらしい。
そして何カ月か経った頃、Zさんのお母さんに再び話を持ち掛け、真新しいGHの見学にこぎつけた。そして部屋を案内し、「もし入るとなると、この部屋かあの部屋になります。」と話した。その瞬間、Zさんが「Zくんここ、ここがいい。」と言い出した。その言葉でお母さんの気持ちが一気に変わった。家に帰ると、「あかりの家そつぎょう!」と話したらしい。
GH行きが決まると、次は支援員側の課題、GHへの移行を成功させるための取り組みである。
先ずは、変化に伴う様々な混乱をどう最小限にしなければならない。いつ引越しをし、どこで寝るのかなど、繰り返し確認した。GHで使うベッドや日用品を一緒に買いに行き、一緒に部屋に設置し、“ここで生活をする”ことを分かってもらえるようにした。
そして当日、あかりから荷物を一緒に運んだ。GHに着いたら、日課表やカレンダーをもとに一つ一つ丁寧に話した。
今では、GHで、掃除や料理など新しいことに挑戦している。
本人の思いを優先させたお母さんの気持ちも、ZさんのGH生活をしっかり支えていると感じている。
- 新6 体操活動はオモシロイ ~あのAさんが活き活きと~
- 作業の無い土曜日の活動の一環として始めた体操活動。ストレッチや模倣動作や大運動などをしてきたが、その間、利用者の皆さんや、職員の変化を目の当たりにしてきた。
あのAさんがこんなに生き生きした表情をしている!当然、その生き生きした姿は、職員に伝わる。だから互いに有意義な時間になる。①最初に支援員
体操活動は、課題が明確であり、結果がすぐ分かる。成功すればOKサインを、失敗すればどう修正して成功で終われるかを考える。場面場面で見て感じて考えて、そしてやりとりをする。楽しい!
②隔週土曜日の体操活動で帰省の勘違いが無くなった
あかりの家では隔週土曜日を帰省日としている。しかし土曜になっても帰省日かどうか分かりづらいAさんも、体操活動があれば帰省無しというサインとなって、帰省の勘違いは無くなった。③体操活動では乱れない
あれこれ気持ちが揺れやすいBさんは、その揺れをしばしば行動化する。そのBさんを体操活動のメンバーに加えた。そして最初に、「Bさんは皆の見本になって下さい。ちゃんとしないなら公民館から歩いて帰って下さい」と、申し訳ないが揺さぶって、励ました。それが上手く伝わった。体操活動では表情も引き締まって、問題も無い。④失敗したらすぐにハードルを下げる
Cさんは、模倣動作などで上手くいかなくなると、拒否が出始める。そこで、失敗したらハードルを下げて、成功をはさむようにした。そうすると次に移っても上手くいくようになった。そういった応援を通して、職員もCさんも、互いに楽に付き合える時間となった。⑤体操活動から日常生活へ
高這いの姿勢維持が難しいDさん。体操活動で、手を着く場所に台を置き、段々低くしていって高這い姿勢を作り出し、うまく出来るようになった。今では、雑巾がけが出来る。⑥体操ではうまく関われる
Eさんは、生活に支障もきたす程に同一姿勢を取り続ける。しかし、体操活動では違う。上手くタイミングをとって動きに成功すると、笑顔も見られる。新人職員は、こういったEさんを見て、“動きたくない”のではなく“動けないのだ”ということを学んでいく。⑦体操活動で<力抜き>
余暇時、リビングで、個別のストレッチやマッサージをする。しかし、Fさんは仰向け姿勢については、身体を固くしてできない。ところが集団での体操活動では仰向け姿勢ができる。そんな時、Fさんはあくびをすることがある。あかりの家では、そのあくびは、力みが抜けて出てきたものと考える。 - 新6 「頑張らないと、あなたはまた一人ぼっちになるのよ」
- 県外のA施設で、粗暴行為で集団生活が出来なくなったTさん。施錠された居室で、TV中心の生活をしていた。そのTさんを応援することになった。あかりの家で言うところのリハビリ的短期入所である。
初日、交流ホームでしっかり向き合って話をし、身体に働き掛けて力みを解いた。それから、あかりの家の玄関をくぐった。
3日間は軸職員との準マンツーマン状態で乗り切った。初日から、着ることが出来なかった下着を着て、夜も眠れた。日中はさをり作業班に入り、食事も、お風呂もみんなと一緒に過ごした。美容院にも行った。
しばらくは「A施設に帰るの」との訴えが続いた。それが段々と、「あかりの家にいるの」という言葉に代わっていった。彼女の心の変化に、嬉しくも内心複雑であった。A施設に帰って行くことは、両親や行政やA施設の覚悟の中での既定の方針であったからである。
有期限有目的の数カ月のリハビリ的短期入所の最後は、あかりの生活とA施設での生活が半々となったが、あかりに帰ってくると「A施設に泊まったらあかり帰ってくるの」など話しかけてくることが増えていった。寂しそうにぼそぼそと話すこともあった。私は私で、”A施設でも頑張らないと、あなたはまた一人ぼっちになるのよ。お願いだから頑張るのよ!”と心の中でつぶやいていた。
送り出しにアルバムを作った。「あかりは卒業です」と励ましながら言い切ったりもした。A施設に帰る前夜、園長に「卒業」と大書した“卒業証書”を作ってもらって、ささやかな“卒業式”もした。そして、A施設へ帰って行った。
- お客さんキーワード 330 彼らの声
- 彼らはメッセージを送り続けている。暮らしにくさというメッセージを送っている。私たちは、そのメッセージを聞き漏らす。そのことは彼らの信頼を裏切ってしまうこととなる。
私たちは、彼らのメッセージを聞き漏らさぬよう、彼らの心の揺れ動きに思いを傾けなくてはならない。
頬の筋肉の緊張が発するメッセージ、身体の揺れ動きが発するメッセージ、膝の角度が発するメッセージ、行動の変化が示すメッセージ。
そのメッセージを受け止めるアンテナの感度を、スーパーバイザー養成実務研修から学んだ。
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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(16)
- 新1 スクラッチアート ―関係作りにモノをはさむ―
- 多くの職員が関わりにくさを感じていたHさん。リビングでもトイレでもあちこちで頻繁に、鼻をかんだり唾を吐いて、その後必ずのように「パー」と大声を出す。
そこで、今年度自ら担当を希望して、関りの方向を変えようとスクラッチアートに取り組んだ。手添えからの出発であったが、初めて見るスクラッチアートに興味を示した何人かの女子職員がHさんのスクラッチアートに関わり始めた。2Fの男子職員も通りがかりに、「Hさんやらして」と一緒にすることもあった。
完成した作品は、多くの人に見てもらって、多くの人に声をかけてもらいたかったのでリビングに飾った。更に欲張って5月のあかり喫茶で、「H作品展」と銘打って交流ホーム壁に作品と制作中の真剣な表情の写真を飾った。
一方で、声かけの幅も広げたいとも思い、身体に合ったかわいらしく見える服を意識して買った。スカートも買った。
狙い通り、職員の声かけの内容も回数も増えた。Hさんもニコニコとしている事が増え、大声も減った。大声が出ても表情は柔らかい。
そして何よりも、グッズを通して関わることで、関りにくさを感じる職員は減っていった。新任職員にも担当利用者との関係作りにグッズを利用してもらった。実習生にも広げ、保護者にも喜んでもらう広がりも出た。 - 新2 新任の私の成長
- 新任採用の4月、F長より、Mさんの担当を伝えられた。そして、「デザインカッターで切り絵に取組み、10月のあかり喫茶で作品展をする」との課題を頂いた。しかし、初めてなのでまず自分の道具を揃えた。
6月にMさんの道具も揃えた。日常業務の少ない隙間をみつけての練習であったが、直線は少しずつ上達していった。しかし、曲線は「こう!」「クルッ!」と言いながら手添えでの練習であったが、失敗ばかりが続いた。
8月、直線中心の下絵で作品作りを始めた。はみ出しも多くあり、線の初めと終わりに赤丸で目印を書き、「ピタッ!」と声掛けすると段々できるようになった。喜び合う時間も意識して持った。
9月から曲線。先輩のアドバイスで手首の動きを意識した手添えをしながら、段々と手添えも必要でなくなった。集中して取り組む時間も長くなり、笑顔も増えた。一方で、私のことを担当として認めてくれている様な実感も感じ始めた。嬉しかった。
そして10月。作品展当日、お母さんが来られた。飾り終えた作品を見て、「ほんまに出来るんやろかと疑っていたけど、こんなに綺麗に出来ていると思わなかった」と少し目を潤ませて言われていた。彼も嬉しそうだった。
「利用者さんの目線になって色んな視点から」支援を考えていくための具体的な課題を、新任の私に与えていた頂いたことに、今になって気付き感謝している。 - 新3 連絡帳
- Hさんのお母さんとは、体調の関係で連絡帳でのやりとりが大半であるが、あかりでの色んなエピソードを書いても定型的な返事しか返ってこない。どんな話題だとつながっていくのか悩んだ。
担当を持って3年目、なんとかお母さんの心を掴みたいとHさんと刺し子に取り組んだ。そして、完成した刺し子布巾は、Hさんの頑張っている様子を貼ったアルバムを添えてお母さんに贈った。するとお母さんから「あかりでのやりがいができたことは本当に嬉しい」と喜びの返事があった。
コースターは、来客がある度に使われ「息子があかりで頑張っている」と言っておられるらしい。日に日に上達している様子も伝えると「学校ではこんなことをしたことがなかったので嬉しい」、「作品展ができると良いですね」とお母さんの方からも明るい話題が飛んできた。
帰省がなくなった現在、「完成したらお母さんに見せようね」を励みに取り組み続けている。生田さんとの取り組みとお母さんへの報告は、私との連絡帳を変え、お母さんも変えた。 - 新4 おだてられ、嬉し恥ずかし朝ごはん作り
- GHのJさん、指の皮むきが頻繁にある。何とかして止めてあげたいが、関われるのは月に1回程度の遅出宿直の時だけ。しっかり止めてあげられそうにない。
そこで指の皮むきをしなくて済むための取り組みを考えた。その一つとして、GHの翌朝の味噌汁の下ごしらえにJさんを誘った。野菜などを手添えで切ったりしているうち、Jさんが「眞鍋料理小学校やな~」と言い始めた。楽しくなって、宿直に入る度に一緒に下ごしらえをした。すると、他の職員から「Jさんが眞鍋さん、眞鍋さん言っているよ~。」とよく聞くようになった。
Jさんにおだてられ?職員におだてられ?気分が良くなって、下ごしらえがついつい味噌汁づくりまで進んでいった。そして、それが私とJさんの宿直の定番になった。 - 新6 相談日から得たエッセンス ~ 一緒に乗り越えて関係を築いていく ~
- 入所して1年近くになるNさん、40代半ばにあることで奥歯を割り、抜歯したそうだ。以降、病院に行けなくなって、病院の敷地にすら入れなくなった。
既に50歳。病院のお世話になることも増えるだろう。何とか病院に行けるようしたいと、嘱託医の相談日に、相談した。そして、以下の助言をいただく。
「奥歯の抜歯が彼にとって今まで経験したことの無いような嫌な体験だったのだろう。必要な事はまず、怖かったことを分かってあげて、不安を和らげてあげる事。その上で一緒にスモールステップを積み重ねて乗り越えていく。少しずつ困難を解決して、解決能力を身につけていく。二者関係を築き、二者関係で乗り越えていく。」
とりわけ「一緒にスモールステップを積み重ねて乗り越えていく」と「二者関係を築き、二者関係で乗り越えていく」という2つのフレーズが心に響いた。何か先が見える感じがした。
そうして、地域行事や園内健康診断や予防接種等に一緒に付き添い関係を深めていった。
まだ「この人がいれば大丈夫」といった二者関係は築けていないが、様々な抵抗感は短時間で乗り越えられるようになってきた。
彼だけが頑張るのでなく一緒に乗り越えて、一緒に悩んで、今に至っている。 - 新9 働くことで豊かになる
- 高等部卒業後、分場とWH高砂(就B)で17年半の通所利用を経て、現在あかりの家で働いているHさん。4年半になる。仕事ぶりはまじめで、午前は洗濯業務中心、午後はいろいろな作業班補助で引っ張りだこである。
Hさんは電車が趣味。高卒後、電車の日帰り旅行を楽しんでいた。それが、あかりの家で働き始めてからは、年に一回、一人で一泊旅行をするようになった。夕食は、その地方の美味しいものをネット検索し、お酒と共に楽しんでいるとのこと。
職員であることにプライドを持ち「働くことは楽しいです」と言い切る。職員忘年会ではお酌もして回る。毎日休まず仕事を頑張るHさんはステキだ!
蛇足ながら、30を過ぎた息子を旅に出すお母さん、この勇気ももすごい。