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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(8)
- #39 明快・先取り・方向の示唆
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Hさんにとっての食堂は、Aさんの声とかBさんの視線など苦手な刺激が多い。
Hさんはその食事場面で、声掛けに動けなかったり、時にはコップや靴を投げたりする。
そこで、「賢い人は○(マル)、賢くない人は×(バツ)です。
×の人に対してはUさん(支援員の私)は怒ります。」という明快な約束を考えた。
同時に、他の場面でも、良い事は「○だね。お姉さんだね。」と褒め、悪いことに対しては、「それは×だね。それは許しません。」と強く注意した。
そして、何かをする前に「○でやってね。」と事前の声かけも始めた。
そのうち、「○できる!」という返答や、「○できた!」と報告が返ってくるようになった。
今では「○で終わってね。」と言っておくことで、食堂でのトラブルは激減した。
- #145 メガネがこわい! ―ゆっくり、ゆったり、受け止めて―
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「メガネを壊されないように!」4月当初、先輩職員からFさんについてそんな忠告を受けた。
聞けば、毎年、新任職員の何人かはメガネを壊されていた。
ある時、それを忘れてFさんの側に近寄った。
すると、忠告どおりFさんの手が僕のメガネをめがけて飛んできた。
間一髪であった。
次の機会、Fさんの隣に座る前に、「Fさん、メガネをとらないでね。このメガネはとても高いのだから。とるときには、『とります、壊します』って教えてよね」と。
そして、時々「メガネとらないでね」と言いながら、30分近くを過ごした。
数日後、またFさんと一緒になった。
僕は、前回と同様に、「メガネとらないでね」と言おうとした。
そのとき、Fさんが突然「メガネこわいです!」と言い、上目遣いで僕を見ていた。
「そうか、メガネが怖かったんだね、だから、メガネをねらってたんだね。ごめん、ごめん、メガネを外すからね」僕は、直ぐにメガネをポケットに片付けてFさんの側に座った。
「これで、いいかな?」、メガネを外して僕はFさんにそう聞いてみた。
彼女は、静かに頷いた。
それから僕はこう言うことにしていた。
「Fさん、メガネをしているけれどいいですか。メガネを外すとFさんのきれいな顔が見えないからね」と。あれから一年近く何事もなく過ごし、メガネを意識することも少なくなっている。
こうして、Fさんとの距離が、「メガネ」の話題をとおして近くなったように思う。
※「メガネがこわい」ということについても、少し考察を加えて、別でキーワード化した。
- #188 新人の、私の緊張から・・・
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Jさんがやたらと私の事を気にし出したのは8月。
9月と11月にメガネを2回壊させてしまった。
11月には風呂場でお湯をかけられた。
私が対応すると「ヒー」という声を出し始めた。
私が悪い影響を及ぼしている事に、情けなく悔しかった。
見るに見かねたH主任が、12月に応援してくれた。
Jさんは主任を前にすると、私とは全く違って、視線を合わせて神妙な面もちで話を聞いていた。
主任が「Yさん(私)の話を聞くように」といって、Jさんを私に向けてくれた。
そうすると、不思議なくらい視線が合い、「話を聞いて欲しいこと」「メガネを壊したり水をかけたりしない、まともなおつき合いがしたいこと」「失敗させないように応援していること」を話し、Jさんは聞いてくれた。
これを機会に目線が合うようになった。
いくらかでも話を聞いてもらえるようになった。
驚くほどのいきなりの変化であった。今も続いている。
振り返れば、失敗を繰り返す中で私はかなりの緊張状態であった。
私の顔を見ただけで手が上がってきたり、ニヤけたり、ヒ―という声が出てしまう。
それを何とかしなければと焦っていた。
肩に力が入り、表情も近寄りがたいものがあったに違いない。
Jさんにしてみれば、必死で鉄砲を撃ってくる私は、何をしてくるかわからない脅威であったのだろう。
メガネ壊しや水かけは、脅威に対する防衛か反発であったのかも知れない。
いずれにしても、私が関われば関わるほど、Jさんをどんどんおかしくさせていたのは間違いない。
それを、Jさんも私も、先輩が作ってくれた土俵に入って、お互いに力が抜けて向き合うことができたのだろう。
大きな一歩であった。
やっとであるが、スタートラインに立てた喜びがある。
- #191 つきあいのはじまり
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Lさんはよく奇声が出る。
嫌いな場面で特に出やすい。
奇声が出ると「大きい声出さないで!」と注意するが、更に大きな声を出させてしまう。
ある日、作業中に大きな声が出た。
その時、「この糸・・・」というのが聞き取れた。「この糸が何て?」と聞くと、「この糸スキ、この糸キライ」とのことだった。
大きな声は嫌になった時の叫びだと思っていたが、全てがそうではないらしい。
それを知ってから、大きな声が出ると「何て言ったん?」と聞くようにした。
最初は逃げられていた。
それでもくっついていき、3回、4回と聞くと、「○○って言うた」と答えてくれた。
それを毎回続け、一週間ほど経つと一回で答えてくれるようになった。
先日は、「キャキャキャって言った」と答えた。
「何で?」と聞くと「作業イヤ」と答える。
嫌になって意味のない言葉を叫ぶことも分かった。
答えてくれると、「ゆっくり言って」など伝え方を教えることができる。
丁寧に説明すると、本人も「うん」と素直に聞いてくれることが多い。
奇声の後に会話ができるようになった。
- #212 前回大失敗、次は絶対失敗できない!
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Gさんの前回の入院は大変であった。
前々回の入院は大きな問題は無かったのだが。
しかし、前回は、緊急で突然に手術・入院となったことで、納得できなかったのか、手術室でも術後のベッドでも大暴れであった。
とは言え、退院時、半年後には再手術が決まっていた。
それをどう迎えるか。
いつ、誰が、どういった形で伝えるか、絶対に失敗は繰り返せないゾ!と、号令がかかった。
早く伝えると、施設から無断外出したり、通院途中に車から飛び出すかもしれない。
そういった心配が家族にあった。
だから、病院に行ってから伝えよう、という考え方になる。
しかし、我々には納得して病院に連れて行きたいという思いが強かった。
病院に向かう前にしっかり伝えようということである。
もしトラブルがあっても引き受ける覚悟でいた。
結果、<あかりの家>で、<手術当日>の、朝引継ぎ後の<トラブルがあっても対応できる時間帯>に、通院に付き添うことになっている<選ばれた職員>が、伝えることを選んだ。
そして手術当日、居室に呼んで、「今日、手術をしてもらうからね」「(Gさんにとって)大事なことだから、落ち着いて診てもらおうな」。
そして、入院に持参するパジャマ、ひげそり、スリッパを見せながら、「手術が終わったら、入院するからね。あかりには帰ってこないよ。」としっかり伝える。
取り乱した様子もなく「ハイ、ハイ」とうなずく。
その後、出発前にパジャマを支援員室から取り出すと、それを見てさっと立ち上がる。
そして、病院までの車での移動、診察、手術そして3週間余の入院も、大きなトラブルなく無事退院した。
表出言語はほとんど無いGさんであるが、基本的なことは十分伝わったと考えた。