あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(12)
- 新3 一緒に料理をしてみたら ー偏食を巡って一
- 全国自閉症者施設協議会のスーパーバイザー養成研修で、全国から実地研修生を受け入れた。その時「UFO やきそばしか食べない利用者の方が居る」という話が出た。
この2 年程、トモニ活動で料理作りを重ねてきた。一緒に料理を作れば、その方と色々な話ができるし、意識せずに色々な食材にも触れられる。そして、自分で作った料理を、楽しく職貝と一緒に食るべことができる。だから自然に「一緒に料理をしてみれば!?」と言葉が出た。
すると、「 おぉ!ほんまや」と声が上がった。
そして直後「それーキワードに書け!」と園長から声がかかった。 - 新5 先輩が黒子になって支えていただいた
- Aさんについては、S先輩による感動的なキーワードがある。新人 1 年目、そうなりたいと一生懸命関わり始めた。
しかし、居室を訪ねる度に出て行かれた。”嫌われないように"をいつも意識しながら、声掛けを繰リ返した。
それでも部屋から出ていかれ、正直、部屋を訪ねるのがイヤになった。
2か月目の5月、 他施設のバザーで、さをり商品を販売することになった。当日は早く、おにぎリをコンビニで買い、Aさんは車中で 、お茶で流し込むようにして食べていた。
バザー会場では人ごみの中、太鼓の音が飛び込んでくる。その会場で商品を売った。Aさんは 、背中を向け、時計を何度も気にしていた。
帰園後の夕食は苦しい顔で、朝と同じく流し込よむうに食べていた。後で聞いた話であるが、”嘔吐しそうだ。させてはまずい。このままでは崩れてしまう”と 直感したS先輩が助けに入ってくれた。
Aさんにとっては、バザー会場は相当なストレスだったのだ。時計を気にしていたのは「いつ帰れるのか」のサインだったのだ。せめて「〇〇 時に帰るからねー」と声をかけてあげたらよかった。あらかじめ苦手なことを教えてもらっていたのに、悔しくて情けなかった。
他にも、S先輩には色々背後で支えていただいた。
部屋から出た時は「Gさんが遊びに来てくれたのに、また出て行ったやろ!」「困ったことがあったらGさんに言うんやで」と言っていただいていた。
そうして次第に、Aさんは 、私の目を見て話を聞いてくれるようになった。部屋に訪ねて行っても出られることは激減した。振り返ってみると、一方的で、 独リよがリでしかなかった。
しかし今「ハンドークムリ買ったけど、どうせ塗らんつもリでおるんやろー」とチョッカイ的に話しかけると、”見抜かれた”という感じでニャッと返してくれる。嬉しい。 - 新9 どうなったの!お母さんは?
- 帰省中の Jさん、毎日午前午後、脅迫的に散歩に出る。母親は痛めている膝をかばいながら、 必死で後を追いかける。
1 年半ほど前の夏季帰省中、炎天下の午後、散歩に出かけた。彼の後を追っかけていた母親は、ついに暑さと疲労で彼の少し後方で倒れた。彼は、母親が救急車で運ばれていった姿を見ながら自宅に帰った。そして、期末全体会の最中のあかリに連絡が入り職員の迎えでJさんは帰園した。
相談員としての私は、翌日、母親に会うために自宅を訪問した。回復した母親は、Jさんの事を心配し、忘れていたベルトを預かった。
救急車で運ばれて以降、お母さんに会っていないJ さん。あかリに帰った私はJさんの横に座り、丁寧に「J さん、さっきお母さんに会いに行 ってきましたよ。」と話を始めた。
実は、7 年前に支援員をしていた時、私はJさんにとって全く無視できる存在であった。そのJさんが、私が話を始めた瞬間、左右に振っていた首を私の方にきゅっと向け、呼吸を止め、目を見開いて私の目をじっと見た。そして「お母さんは元気になって家に戻られてましたよ。お母さんも、 Jさんが元気にしてるか心配してましたよ」と伝えると、 今度は
「スーッ」と息を吐く音が聞こえた。
預かったベルトを出し「お母さんから預かったので着けといて下さいね。」と渡すと、苦手としていたはずのベルトを素早くつけた。
あれから1 年半、 今では、私が挨拶をするとJさんは…以前とかわらず、こちらを見ることも目を合わせることもない。 - 新14 ”残念なことはあるけれどそれでも良かったね、に導いていく”
- Nさんとは、 食事場面で躓きやすい。その事で「大きな声を出さないで!」「(食器)投げるん?」といった否定的な声掛けが多くなる。彼女から出てくる言葉も「私、悪い」や「しない」等が目立った。
2年ほど前から安定剤を服用し始めた。薬だけに頼リたくないし、今のうちに前向きな関係を作りたいと思いで、頑張りシールをためて“ 大好きなコーンスープを食べよう!”ということにした。
そんな頃、河島先生から「色んな辛いことはあるけども、それでも良かったねという結論に導いていくことが出来るし、それが感謝。そういうものを導くような会話を出来るようになって欲しい。感謝の気持ちをもっている人は絶対不幸ではない。」といったアドバイスを頂いた。
プラス思考なら私にも自信がある。影響されやすい人だから、私のプラス思考も上手くいくはず。とにかく、 彼女のマイナス思考に引っ張られない!負けない!と、心に決めた。
その内、問題の出やすい食事場面で「コーンスープ、シール貼ろうな」と、前向きな言葉が出始めた。頑張って食べようとする姿も見られ始めた。
去年のこと、 誕生日に2人でインドカレー屋さんに行った。お皿を投げられないように、表情や手の動きを警戒しながら、何事もなく食事は進んだ。そして終り頃?「いらん」と言葉が出たが「せっかくだから食べて!」と勧めた。その時、お皿を投げかけた。帰りの車中「なんで投げたんせっかくお祝いに来たのに。もう知らん」!と言いかけた時、 河島先生の言葉が浮かんできた。一転「一緒に食事が出来て嬉しかったね。外食できるようになったんだもんね 。」と切リ替えた。
後日、Nさんから「インドカレー」と言ってきた。オウム返しが多い彼女からの言葉に驚いた。そして、”あの時、怒ったままだったら散々な誕生日にしていた”と、心底思った。
そして今年、リベンジも含め、女子職員を誘って同じ店に行った。そして「Nさんとピリピリせずに食事が出来るなんて」と話をしながら、誕生会を楽しんだ。 - 新30 ”カレー作りへの思い、に導いていく” 料理は、優れた療育内容の詰まった宝庫です。生きる力を育み、親子の関係を深め、自己肯定感を高め、責任感や感樹の心を育て、今を豊かな充実した生き方へと導きます。
- 4年前よリ、トモニ療育センターから河島先生と高橋先生にスーパーバイザーとして来ていただいています。
最初の「料理は、・・・」のメッセージは、 先生のお話です。そうして昨年 4 月よリ、 利用者の皆さんとの料理作リに取リ組み始めました。
それが、いつの日か、‘‘お父さんお母さんに食べていただこう”との思い につながって、 保護者参加の夏祭リのでメインテーマ「おもてなし」として実現することになリました。
ピーラーを持つ真剣な目、お肉を入れる時の嬉しそうな表情。分りやすく手順が書かれたレシピと写真を見ながら「お父さん・お母さんに喜んでいただければいいですね」と話しながら、100人分のカレーを作リました。
それにしても、今まで気づかなかった利用者の皆さんの一面を見せていただくことは、とても嬉しいことでした。
「もてなすことが出来、感謝される存在になり、人のために働く喜びを知ってほしい。」(河島先生)今回、そんな思いを込めて作リました。
「利用者の皆さんが、お家で料理をして振る舞い、ご家族の皆さんと一緒に料理を囲んで食事をとれる日が来ればいいなぁ」と考えています。ニコニコで、素敵な食事になリますように。次につながリますように。
夏祭り当日の、テーブルの上に添えたメッセージ(抄)よリ