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あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(3)
- #16 要求カード
- Wさんは、簡単な漢字の読み書きは出来るが、発語できず自ら職員に関ることが苦手である。
例えば自分専用のシャンプーが無くなっても、それを支援員に知らせることをしない。
そこで生活に必要な最低限の物を色つきの画用紙に文字を書いた「要求カード」を作ってみた。
それを支援員に提示するコミュニケーションである。
カード作成直後から確実に意思表示でき、今ではカードを作成していない要求内容でも支援員に近寄って来て、身振りを交えながら自分の意思を訴えようとするようになった。
- #20 「天井は触りません」 ― 状況にあった言葉を育てる ・ 引き出す -
- Dさんは、家庭での粗暴行為がエスカレートして短期入所となった。受入れに際し、いくつかの「約束事項」を作った。
問題の一つに、車中で天井をたたいて大暴れをすることがあった。
そこで、車の中では手を膝に置き、顎をひいて座る等、車内で “大暴れしなくてすむ型”を徹底的に教えた。
その結果、叩く行為はなくなった。ところが代わりに天井を撫でることが始まった。
エスカレートしそうなため「天井は触りません」という約束事項を加えた。そんなある日、母親が車で迎えに来た時の事、送り出しの支援員が「天井を触って帰っておいでね」と声掛けした。
すると「ハイ」と返事があり、即座に「ヘッ?触るの?」と返した。
そうして「触りません」の言葉を引き出した。
それ以降、同様の声掛けにも意識して応えられるようになった。
母親との関係作りも応援した。送ってきた母親と、「夜7時に迎えに来てください」「分かりました」、「お願いします」「はい」、「さようなら」「さようなら」、とやりとりして別れる。
事務所に入る際も「失礼します」出る際「失礼しました」とする。
そういった状況にあった言葉を発して、トーンを落とし、語尾を伸ばさず一言ひとことを正確に発声する練習もした。
ちなみに、Dさんにそこまでのやりとりができる印象は無かった。
自閉症ということで“踏み込んだ言葉でのやりとりは混乱させるだけ”という考えは、ケースによっては、あるいは応援の仕方によっては、「それは違う」ということである。
(反射的やオウム返し的な言動ではなく)「言葉をはさんで行動を起こす」、「行動の前に状況にあった言葉を発する」「ことばのやり取りをはさんで関係を作る」「脳みそ経由で行動を起こす」などとも言っている。
マナーの、勝手な押し付けでは決してない。
- #64 関係の中で我慢する
- A君は職場実習に通っている。
居室は個室であったが、暖房を30度という勝手な型を作ってしまい、結果風邪をひいてしまった。
そこで、意図的に介入を始めた。
彼はその介入を嫌がり、イライラッと迫ってきて首肩付近に掴みかかってきた。
しかし頑として構え「給料もらっている人間がそんな馬鹿なことしてどうするんだ」と対応した。
そのうち少しずつ力をゆるめ始め、別の日に同様の注意をした時は、手を伸ばすまいと、みるからに必死で我慢した。
そうしているうち、我慢の程度も軽くなって、「さあイライラして!」とのからかいの“指示”も受け止めるようになってきた。
- #72 力抜き - 作業の微妙な動きに修正を加える -
- Yさんはこだわりが強い。
今年度より外勤のケーブル作業になり、当初は新しい作業の緊張感が良いものに見えた。
しかし慣れてくると、同じ動きを繰り返し、力んだ状態を持続させている作業が、状態の崩れに繋がっているように感じられた。
また、どんどん動きが早くなって、感覚で作業しているなどが観察された。
そういった流れを変えないと駄目だと感じ、休憩を挟み、違う内容の作業を入れて、時々動きを修正するようにした。一定の成果があった。
単一的な動きが多い作業の場合、休憩のとり方や、単調さを崩す動きの作り方など、常に意識が必要であると感じた。
- #78 療育の成果を生活に返していく
- 行動障害の激しい人の部屋は、例えば、カーテンが無かったりタンスが壊れたままであったりする。
自閉症者施設の職員はそのような光景を見慣れてきた。
だから、行動障害の改善を生活環境や生活水準を上げることに結び付けていく、療育の成果を生活に返していく視点は非常に大切となる。
数年前、小グループ旅行(レインボーデー)は車であったが、それを公共交通機関利用に切り替えていった。
今年度は、問題行動で外作業が困難であった人を含め、半数近くの17名が外勤作業に参加した。
また、玄関の日中の施錠開放も実現できた。今では、施錠してあると心に引っかかる。
- #80 父親を軸にする
- 外来療育のW君は、母親を見た瞬間に髪の毛を掴みに行く。
父親に対する攻撃もあるが、ある程度抑制が効く。
そこで父親を軸にして、母親との関係改善を図ることを考えた。
まず、あかりの家で作業課題を利用して、父親との関係を強化していった。
次に、母親を見ても掴みかからないために、父親と私が付き添う形で、母親とW君を近づける段階に進んだ。
母親が声かけなどして関係や空間的な距離を少しずつ縮めていった。
最初は距離が縮まると髪の毛に手が伸びていたが、手を添えてW君の手が伸びないような応援をしていった。
そのようにして、段々手が伸びることが減少していき、母親も不安を抱えながらも少しずつ自信がついていった。
次は、家庭(私不在)における関係作りであるが、これまでの取り組みによって父親の存在で母親を見ても掴みかかることが次第に減っていた。
そして仕上げは、W君と母親の二人だけの場面になる。
失敗をしないように、W君の状態が良い時を選び“掴まなくて済んだ”という経験を積み重ねていくことの大切さを話した。
そういった経験を積み重ねていくことで、母親も自信がつき、またW君も安心できることで、今は何とか一緒に過ごせるようになった。
- #35 鎮守様
- 歩いて外勤するCさん。
こだわりが強く、マンホールや白線など色んなものに囚われ足も進みづらい。
そんな或る日、いつもと違う動きを感じた。
鎮守様の祠前で首を微かに傾け口をパクパクさせたのである。
新しいこだわりと思い、「村の鎮守様よ。気にしなくていいのよ」と話した。
以後、鎮守様を通過する手前で「真っ直ぐ歩くのよ」と伝えた。
Cさんは少し困った顔で、私を見ながら首をすくめて動きを止めて歩いた。
ある日、声を掛けずに様子を見ることにした。
Cさんは困った顔で私を見て、鎮守様の祠に首を向けて薄く目を閉じ、頬を膨らませて口をモゴモゴさせた。
その姿を見て「あっ!Cさんは鎮守様にお祈りをしてるんだ。お祈りの姿だったんだ!」と咄嗟に感じた。
「気にしなくていい」と、鎮守様イコール道中を邪魔するものという考えに囚われていた自分が恥ずかしかった。
いつか、どこかにお参りに行こうか。