HOME研究・研修
あかりの家自閉症療育のキーワード集抄(14)
- 30周年記念講演会 第3部 鼎談
青山新吾先生と「あかりの家自閉症療育のキーワード」をとおして
- あかりの家は1986年に誕生し、今年の4月で 満30歳となった。
この間長く、行動上の問題を次から次へと繰り出す彼らを前に、その懐に飛び込めないでいた。手を拱いていた訳ではないが、“毎日が毎日、みんながみんな大変だが、しかし何も変らない”状況であった。あまりにも“手ごわい”相手を前に、年月や経験という「量」が、支援の展開や職員の成長などの「質」へと転換できずにいた。経験の「点」が、「線」や「面」につながっていかないのである。言ってみれば、長く、真面目な“お世話係”に甘んじてきた。それを、“毎日が毎日、みんながみんな大変だが、少しずつ取っかかりができ始めた”ところにどう抜け出るか、当時の私の大きな問題意識であった。
育つ職員が出始めて、少しずつ自力助走を始めていた頃、今から考えるととてもタイミング良く、2000年にスーパーバイザーとして片倉信夫・厚子両先生を迎える幸運を得た。そうして、いきなりエンジンを全開して、「自閉症成人施設」として一気に“離陸”し始めた。
ところが、片倉先生の「かくたつ療育研修」においては、「高速の下りエスカレーターで必死に2階に上がっているようなもの」とか「伝えきる厳しい向き合いと痒いところに手が届く細かな支援」とか、「したくないのにしてしまう」とか「張り合いをもって生きる」、「精度を上げる」、「密着取材」、「第一段階の教育」、「修行」、「黒子」、「サリバン先生」、「主戦場」、「瞬間技」等、象徴的な言葉が研修毎に加わっていく。そういった、ヒダのいっぱいついた “療育的なことば”があちこちからどんどん投げつけられる。必死で書き留める。
しかし、これらの“療育的なことば”は、“自閉症事典”には無い。そこは「修行」側のトップ、私の役割と直感して《実践の中から得たエッセンスを言葉にする》ことを、2002年度から始めた。何よりも「言葉」という形にして残し、それを、つなぎ、育てていくためである。
自前の、<共通言語>、<実践言語>、<説明言語>を得るためでもある。それらは、あかりの家の実践を中心にして、片倉先生による療育研修で得たエッセンス等を加え、<自閉症>と<自前>と<療育的なことば>にこだわって編集している。’02年度から作り始めて、現在300を超えるキーワードが出来上がっている。
なお、このキーワードは、原稿記載者と編集者の私で、少し前まではフロッピーディスク、最近はサーバーを通して、時に直接やり取りしながら、少しずつキーワードの形にしていく。“先ずストーリーがしっかりしていることが重要。” “この表現でよいか?少しずれている感じがするが” “ここをもっと具体的に説明しないと説得性に欠ける。” “理屈が先行している。実践の切り口でガッテンを狙え” “これでは勝手な解釈や成功史観で終わる” “成功理由はその方法ではなく向き合いの一生懸命さの感じがする” “キーワードは鋭い切り口だ。あれやこれや欲張りすぎて論点がボヤケテいる” 等々、何度もやりとりしながら完成する。
あかりの家はことさら<職員チーム作り>を意識し、大切にしている。「職員がバラバラなら利用者のことを本気で考えることは難しい」からだ。
そして、「職員チームは専門性を高める過程で作っていく」と「あかりの家共通確認」に明文化しているが、
その一つが、キーワード作りである。このキーワード作りの過程が、投稿者と編集者の私の、双方の思いや見方や表現を巡って、共に育ち・育てられる、チーム作りの大切な場となる。
なお、2010年度から、トモニ療育センターの河島淳子先生と高橋惠子先生からもご指導いただいている。その取り組みに関したキーワードもこのキーワード集に増え始めた。
‘14年度から始まった、全日本自閉症支援者協会と日本自閉症協会主催の「発達障害支援スーパーバイザー養成研修」の実務研修施設に、あかりの家も手をあげて全国から研修生を迎えている。あかりの家を選んでいただいた何人もの方が、あかりの家H・Pのキーワードを見たことがきっかけだと話されている。
‘14年度から「お客さんキーワード」の項を新たに設けた。スーパーバイザー養成研修に来られた川崎市のSさんから、お礼の手紙にキーワード2題添えていただいたことが発端である。
ところで、キーワード作りを始めて3年ほど経った頃、このキーワード集に<考えなくさせる> マニュアルに似た副作用が出始めた。このあたりの問題意識については、このキーワード集最終ページの、<追記>「キーワード考」(略)で触れている。
「キーワードは鋭い『切り口』である。切り口であるから部分であって全体ではない。部分であるが故に鋭くえぐり出せるし、部分であるから限界がある。」と、その限界を明確にしながら、自分たちのキーワードがお飾りにならないよう、常に息を吹きかけていこうと確認し合っている。 (三原)
(「あかりの家自閉症療育のキーワード集Ver.14」 前文(抄)より)
- #226「作業を嫌がる自閉症の人に作業をさせては人権侵害」
- 2004年、出張先で知人がこぼした。「東京では、作業を嫌がる自閉症の人に作業させようとすると人権問題になるんです」と。
自閉症の人の名誉にかけても、きっちり議論しておかなければならないと、新幹線での帰路つらつら考えた。以降人の前で下のような話をよくする。
まず、どのレベルでの人権論議か。日中ゴロゴロすることの怖さを知った上での発言なのかどうか。
自閉症の人にとっての作業の魅力・張り合いのある日中活動の大切さを知っているのかどうか。
行動上の問題を上手くコントロールしてあげると自閉症の人は表面に見える以上に「できる」ことを知っているのかどうか。
ゴロゴロは本当にしたくてしているのだろうか。つまり、入り口レベルで作業から疎外していては、人権を守るよりは非人権的なことになる。
守られるより孤立化を強いられる。
そしてもう一つは問題のすり替え。
授業中、小学生が「オレ面白くないから帰るワ」と言った時、先生は「そうだよね」とは決して言わない。
選択の自由や人権の問題としてではなく、授業の魅力や指導力・教育力の問題として、先生は考えるはずだ。
似たような話が、県社協の就職セミナーで、あかりの家の紹介コーナーを訪ねた学生の話がある。
あかりの家では重度の人たちも全員働いていると説明すると、「そうなんですか、あかりの家では。私が実習に行った施設では自閉症の人はゴロゴロしていました。」と。
- #163 これまでの関係があれば成功できる!
- 「死ぬかもしれない手術なんか、Hがいなかったら受けようと思わない」と手術の決意をされたHさんのお母さん。以前は、年に1~2回、1週間ほどの帰省をしていたが、お母さんの体調の関係で帰省が出来なくなっていた。そこに手術の話が持ち上がってきて、「死ぬかもしれない手術なんか・・・」の話になった。
そのお母さんに、入院前の面会を提案した。しかし、お母さんは入院前の面会には消極的であった。
これまで面会後は必ず帰省していた。しかし今回は入院前の面会だから帰省できない。そうなると状態を崩すのではないか、そうであるなら面会は避けよう、ということであった。
しかし、手術前に何とか面会を実現させてあげたかった。その面会を成功させると、手術以降の帰省なしの面会にも、お母さんは不安なく来られるようになると考えた。
成功できると思った。新任で担当した2年半前、イライラ動き回り、甲高い声でしゃべりまくっていた。食事では“盗食”が頻繁にあって、支援員はHさんの手を持ち、体でガードして“盗食”を防いでいた。それでも隙を狙われるような状態であった。
<一緒にいてゆったりと過ごせるような関係>づくりを、ただただ一生懸命した。大好きな?コーヒーへの取り組みもその一つである。Hさんは、コーヒーを飲むと興奮しやすく早口で多弁になる。睡眠にも影響する。その大好きな?コーヒーを何とか楽しむものにしたいと考えた。そして、公園でゆっくりと飲むところから喫茶店に行くところまで、一緒に練習した。そうして、今では落ち着いて話を聞いてもらい、約束も守ってもらえるようになった。だから、面会後の帰省がないということも、しっかり話し込めば、思いは伝わると考えた。
そうして、お母さんを迎える当日朝、静かな居室で、外食でのふるまい方や家に帰らないことなど、しっかりゆっくり話をした。そして、1年ぶりにお母さんと妹さんをあかりの家に迎え、私を含め4人で外食に出かけた。
レストランではお母さんの横に座った。そしてゆったりと自分で食べている。コーヒーも一口飲んでは置いている。「(一気飲みでなく)ゆっくり飲むのを初めて見た」と妹さんが驚いた。「良かったね」と話しかけると、ニコッと満足の頷きをする。
そうして、お母さんが、「おかぁちゃん頑張って手術するからな」と話すと、「うんうん」と顔を見ながら真剣な顔で頷いた。その時、足の貧乏ゆすりは止まり、曲った姿勢も伸びた。別れ際、どこで寝るのか聞くと、「あかりで寝ます」と落ち着いて答えた。
退院後、定期的な面会も始まった。「帰省のない面会」の成功が、お母さんの気持ちを前向きにさせた。
- 新3 それぞれの整体 ―個別性への気付き―
- あかりの家では、整体の先生に週1回来て頂いている。居室に診察ベッドを置いて、支援員付き添いの下、15分程度の施術だ。
当然、ベッドではじっとしていなくてはならない。体を先生に任せられるリラックス状態も求められる。
ただ、付き添う支援員により利用者の状態に違いが出るのは事実である。
その正体のベースの一つは、普段の付き合いの質で培われる「安心感」。もう一つは「個別性」への気付きである。
①Zさんは、窓から見える景色が刺激となり、起き上がろうとしてしまう。カーテンを閉めることでゆったりできる。
②Nさんは、前かがみの姿勢になっている為に、背中がアーチ状に湾曲して、うつ伏せが難しい。そこで、お腹にクッションを挟む。すると身体的な負担が軽減され、随分ゆったり寝転べて体を任せられる。
③Sさんは、足周りに触れてマッサージされることを苦手にしている。1回1回細かくカウントしながら、小刻みに部位を変えることでたくさんの終わりを作る。そうすることで、見通しが出来やすく、一定時間体を任せることができる。
④Bさんは、整体の後の予定を明確に伝えて、整体後の見通しがつくことで、不安や焦りからくるおしゃべりをせずに済み、ゆったり集中出来る。
⑤Cさんは、整体の先生と談笑するなどその場が明るい雰囲気になることで安心できる。
⑥Dさんは、雑音のないピリッとした静かな環境の方が集中できて安心出来る。
⑦Oさんは、整体の部屋までゆったり落ち着いて歩いて行くことで、そのまま「ゆったり」を維持したまま整体が出来る。
⑧Mさんは、先生と挨拶することで、「整体の時間」と行動の切り替えが付きやすくなる。
- #243 「手を持っといて、手を持っといて」―暴れなくてもいいように自分で応援を求めるー
- 作業所でうまくいかず、定期的な短期入所利用が始まったLさん。
食事場面で特に問題が出て、食べ物を投げ、食器をひっくり返す。最初は「Lさん、投げたりひっくり返したりしなくていいように、川﨑さんが食べさせてあげるね」と話し、手を膝に置いてもらって、直接食べさせてあげた。「Lさん。魚だよ」「次はご飯ね」と伝えながら口へと運ぶ。重ねるうちに、少しずつLさんの身体や表情から緊張が和らいでいった。
「美味しいね」「良かったね」、思わず、Lさんの表情からそんな言葉掛けができるようになった頃、食器をひっくり返さずに食べることができるよう、手を添えつつ、ゆっくり食べる応援をした。当初、手を添えられることを強く嫌がっていたが、Lさんの呼吸に合わせて添える手の力加減を判断しながらすすめていくなかで、それも出来るようになっていった。少しずつ手を添えなくてもよくなり、やがてわたしはLさんの隣りに座って見守るまでとなった。
そんなある日、苦手な野菜を目の前にした時のこと、「手を持っといて、手を持っといて」と突然要求してきた。自分だけではうまくコントロールできない動きや感情を、わたしに応援を求めてきたのだ。「はい。持っててあげるよ。Lさん、大丈夫だよ」と手を持った。Lさんの呼吸が静かになる。
わたしは、自分が必要とされたことが嬉しくてすぐ園長へ報告に行った。
- #243 関係づくりことば
- Bさんはお茶やお汁を飲む際、わざと服にお茶をこぼすことがある。
6年前担当になった時、「お茶をこぼしてはダメ!」と徹底して言い続けた。しかし、関係もできていない中での単純な禁止ことばは、拒否感を持たせるだけで、上手く伝わっている感触はなかった。
Bさんは色々な言葉を知っている。そこで、「ダメ!」を、「お茶をこぼさないように気をつけてね。」と変えてみた。そして、ちゃんと飲めた時には、ジェスチャーも加えながら二人で「セーフ!」と、Bさんが繰り返したくなるような関わりに変えた。「セーフ!」は、耳ざわりが良かったのかもしれない。
そのうち、「今日もセーフでね。」が、二人の共通言語になった。ちゃんと飲めた時には、自ら、小さい声で「セーフ」と言ってくれるようになった。お茶こぼしもかなり減った。
そして今年度に入って、幾分しゃれた感じの「マナー」という言葉に変えた。最初に使った時、彼はニヤニヤっと笑った。この言葉も耳ざわりの良い言葉だったのだろう。今では、色んな場面で使える言葉になってきた。
- #243 あかりでは服破りをしない -存在感・“しなくてもすむ”―
- A施設でのショート利用時には服破りが常態化しているB君、あかりの家のショート利用時には大きな問題がない。同じくショート利用のCさん、生活ホーム利用時は色々な問題行動が出るし、行くことを拒否する。しかし、あかりの家に来ることは嫌がらない。あかりの家では目立った問題もほとんど見せない。共に、療育的配慮は特にしていない。こういった事例話は少なくない。何故だろうか、あれこれ考えリーダーたちにも問題を投げかけた。
思い浮かぶのは、「さあ、ここがショートの人たちのお部屋ですよ」と優しく迎え入れられながらも、ある空間や関係にポツンと投げ込まれて、何をしてよいか分らない状況だ。
構造化されていない人や空間やスケジュールなどが想定される。目や耳に勝手に入ってくる周りからの刺激もあるだろう。仲間や職員からの無配慮で“親切” な対人的な混乱も考えられる。
そしてもう一つはSVの言う「存在感」。あかりの家では、「ポツンと投げ込まれて」ではなく、“しっかり受け取られて”ショート利用が始まる。受け取った人が別の人に変わっても、空間が変わっても、B君にもCさんにも、あかりの家の職員の「存在」が在り続けている。
これに、SVからの追加コメント。「言語コミュニケーションの発達しない人ほど、相手の意図を読み取る非言語コミュニケーションがシャープになる。」と。
あかりの家の職員が何も言わなくても、“ここでは、服は破らなくていいんだよ!”と、振舞い方が示される。だから、“服破りをしなくてすむ”“あかりの家の方が楽で、嫌ではない”という解釈につながる。
- 付録 「自閉症児を特別なものとして見ることを止めたとき、彼らがよく見えてくるということを最後に言っておく」
- これは、片倉先生が、「十亀先生の遺言だと考えている」としてよく引用紹介される言葉である。紹介される度に私は戸惑っていた。
確かに、一人の人間として見る時(見えた時)、見え方が変わってくる(いる)。片倉先生の、「一気飲みが自閉症の特性ではないだろう。単に支援をサボっているだけだろう。」との、“自閉症の特性”とかを一つ飛び越えたところでの見方で、十亀先生の言葉にいくらか接近できる。
しかし、大半は、 “一生懸命自閉症の人として見て、その困り具合に取り組むのが支援者の役割なんだろう!”と、戸惑っていた。 (中略)
ところが、「檜の里」(あさけ学園の法人機関紙 ’02.6.18)にある片倉先生の巻頭言、「彼らの魂と付き合うこと」を読ませてもらって、読みの大きさと深さに驚いた。とりわけ、「自閉症の人たちに関する限り・・・禁止している」に読み進んだ時、ゆっくり何度か頷いた。そして大発見したように嬉しがった。“そんな読み方もするんだ!”と。
勝手に引用して、あかりのキーワード集に取り込んでおく。(‘14)
- 彼らの魂と付き合うこと(抄)
- マラソン大会の出場が決まっていた自閉症の人が、期日が近づくと「マラソンしない」をしつこく繰り返し始めた。・・・基本的に、マラソン大会に出たいからこそ本人の内面に起きてくる、一般的な重圧と解すべきであろう。・・・「毎日30分練習しておけば大丈夫」「初出場は誰だって緊張するものだ。それを『マラソンしない』と言うのは誤解される言い方だ」等と励まし続け、実際に練習に付き合い、・・・そして、予測範囲の良い結果が出て、彼が満足そうな素振りをした時、初めて彼が「マラソン大会に出たかった」のだということが理解され、実感されるわけである。
周囲の人たちが彼らの「見かけ」に対して、普通の気持ちで付き合うと、彼らが特別な人にしか見えてこない。・・・十亀先生の日本語の厳しさは、人というものが普通他人の見かけ、外から観察可能な言動に反応するものだと承知しながら、自閉症の人たちに関する限り、それを我々に禁止している点にあるのだろうと思う。・・・
(片倉信夫;「檜の里」’02.6巻頭言より)